(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

今は休むが吉

去年は行けなかった初詣に今年は一時帰宅中だったので、家族3人で元旦から行くことが出来ました。

そして、恒例のおみくじを引きました。

 

そこに書いてあった事が、『今は休むが吉』でした。元気な時ならば、何で~?と思うでしょうが、何だか少しだけほっとしました。悪性リンパ腫と言う病気によって一年以上社会から遠ざかり、治療の日々が続いています。色んな事が頭をよぎっては、私は、自分を責めてしまいます。

『もう自分を責めるのを止めよう。』

そう思うようになりました。今年は、雑煮も食べれたし、おとそも少しだけ飲んだし、家族で初詣も行けたし。

 

良い年にしよう。

 

そう思えたお正月でした。退院中、色んな手助けをしてくれた家族に感謝です。

 

1月9日から入院しているベッドの脇には娘が選んでくれた『健康』の御守りがぶらっさがってます。

 

頑張んなきゃ。

 

挫けそうな時はそれを見て、気持ちを奮い立たせてます。

 

頑張んなきゃ。

 

オレンジランプは療養中と言い聞かせながら。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。感謝致します。

抗がん剤投与から丸一年

今思えば、昨年の今日、1月4日に私は悪性リンパ腫の治療の為に初めて、抗がん剤を投与されました。とても不安だった事を覚えてます。あれから一年が過ぎて、、、、。

 

私は未だに悪性リンパ腫の患者です。1度は寛解と言われたものの10月に再発したからです。

 

再び治療の為に再入院して、今は、年末年始の為に昨年の12月19にちからの一時帰宅で、自宅療養をしています。

 

いつも一時帰宅は1週間程度ですが年末年ということもあり今回はながめです。

 

嬉しい筈の一時帰宅。

 

永くなってしまった闘病生活の為か環境や状況も変わってしまいました。

 

何よりも年末年始の家族の団欒が辛いのです。

 

家族に申し訳なくて、疎外感と孤独感で私の鬱の状態が悪くなったような気がします。

 

家族の気遣いもあり、楽なときもありますが、団欒と言うか、家族が楽しむ輪の中に入っていけません。

 

毎日が辛くて。

 

ため息ばかり。

 

今は、病気の治療に専念してと皆が言いますが上手くいきません。

 

一緒にテレビを観たりして笑う、楽しむ、これが出来ないのです。

 

病気の治療に専念するために今は、頼れるものすべての力を借りてます。

 

元気になりたいです。

 

心も。

 

体も。

 

その為に、心を無理なく整えているところです。色々と試しながら。

 

頑張ろう。頑張んなきゃ。

 

ぼちぼちですが。

 

去年は病室で一人ぼっちだった事を思えば、今年は家族で初詣も行けたし、雑煮も食べれたからましかとも思いますが。食欲も出てきたし。

 

今は自分としっかり対話をして、心穏やかに過ごしたいと思っています。

 

もうすぐ私の誕生日です。生まれた気とに感謝する日です。ありがとう。お父さんお母さん。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございます。感謝致します。

悪性リンパ腫と闘って1年

悪性リンパ腫の再発から4度目の抗がん剤治療が終わり、今は一時帰宅中で、自宅に戻っています。

 

以前の一時帰宅は家に帰れるのが嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。

 

でも、私の入院生活が長引いた事によって、その嬉しいはずの一時帰宅が辛くなっています。

 

パパが居ない1年で妻と娘には完全に2人の生活が出来ていました。淋しい限りです。再発前は、料理作ったり、家族で出掛けたりしましたが今の私の体調ではそれも叶いません。

 

二人が学校や仕事に行ってる昼間は鬱々と過ごし、たまに散歩する程度。以前は家事して気も紛れましたが今の私の体調では無理です。でも、家族は違って、家にいる限り、元気になったと思われてるんだと思います。

 

だから、いつもゴロゴロして少しは何かしなさいと、厄介だったり、怠け者と思われてるかもしれません。

 

抗がん剤治療のキツさ、辛さは目に見えません。病気の辛さも。確かに家族も大変ですが。

 

私はどうしたらいいんでしょう?色々やってあげたいけど出来ない。そんな気持ちと疎外感の中で過ごしています。

 

前回の悪性リンパ腫の時は体の負担が大きかったですが(精神的にも楽ではありませんでしたが、、、。)今回は精神的に辛いです。

 

ストレスなく過ごしたい。そう思う日々です。

 

ガンと言う病気は患者も家族の生活も変えてしまう病気だとよく言います今が正にそれです。

 

病院の消灯時間の21時に慣れきった今では、家族でテレビを観ていた家族団欒の時間も私のストレスとなります。

 

私は休みたい。、、、。でも、家族には関係ないですよね。静かにしてと言ったこともありましたが、後で自己嫌悪になりました。私が悪性リンパ腫何かになったからで家族には関係ないですよね。と思ったからです。

 

これがここ最近の私の近況です。つくづく前回の悪性リンパ腫の治療中とは違います。それだけ、再発って大変だと思います。

 

前回と比べちゃいけない、比べちゃいけないと思いますが、中々上手くいきません。

 

健康な体と心に戻して、また、楽しく家族で過ごす日々に戻りたいです。

 

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。感謝致します。

私が行っているR-MPV療法について

平成29年の10月に再発が分かり、救急車で搬送された私ですが、『悪性リンパ腫』の再発場所が脳内という事もあり、その後の生活・治療にも色々と苦労があります。

 

このブログを更新するのも結構、消耗が強いられます。私の病名は『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫』というものなのですが、再発場所が脳内という事もあって、その治療方法は、依然行っていたR-CHOP療法やR-EPOCH療法とはちがいます。

 

その大きな理由として、通常人間の脳は外敵から守る為に脳には『血液脳関門』と言う脳を守る門番があるらしいのです。その為、今まで行っていた治療法では、抗がん剤がこの門番を突破できないために、使えないという事でした。

 

それだけ、脳腫瘍の治療は厄介なようです。

 

それでも、治療しない訳には行かないので、脳に到達しやすい抗がん剤を使おうという事で、メソトレキセートと言う抗がん剤を使っています。このメソトレキセートをと以前も使っていたリツキサンを併用して使っています。

 

抗がん剤の治療は以前から行っているCVカテーテルを使って投与しています。

 

医師の話によると、このメソトレキセートとリツキサンを併用した抗がん剤治療を5回行って、その結果で、抗がん剤治療を続けるのか、放射線治療に移行するのかを判断するらしいです。

 

この悪性リンパ腫』の事をいれば知るほど、血液のがんなので体中に出来る可能性もありますし、外科手術の様に切除して、腫瘍を取り除くという事も出来ない病気なので厄介だなと思います。

 

再発前もR-CHOP療法とR-EPOCH療法を合わせて7コース行った事で、私の体から悪性細胞は無くなったと判断されました。でも、悪性の強い悪性細胞が残っていた可能性があったらしく、それが脳内を新しい住処として再発してしまったのです。

 

脳内に腫瘍が出来ると。色んな弊害が出てきます。私が今、実感している症状としては、ふらつき、眼が悪くなった、強い倦怠感、物覚えが悪くなったなどです。記憶に関しては、聞いた話、病院で預かったもの(書類など)を何処に置いたかなど思い出せない事もよくあるレベルです。

 

ここまで書いた治療が今日から始まります。現在4コース目で後、1コース終われば、その後の治療方法を判断されるという事になります。

 

上手くいって欲しいものです。

 

メソトレキセートを大量に投与された後も、体内にメソトレキセートが残っていると重篤な副作用を起こす可能性があると言われているので水分を大量に点滴で体内に入れられて、それを尿として出さないといけません。その尿を48時間後、72時間後に測定されてちゃんと体外に排出されているかの確認をされることになります。

 

毒性の強いものを輩出しないといけないという、強迫観念もあって、まさに、オシッコとの闘いです。

 

今回は、ここまで私の治療方法について書いてきましたけど、まだまだ、これを書くには早すぎたかもしれません。再発のショックをまだ乗り越えてないまま、自分の病気の事を知るということで、精神的にとても辛くなりました。

 

正に今自分は、悪性リンパ腫と言う病気と闘病をしているんだなと思います。治療も闘いもまだまだ続きます。多くの力を借りて、闘っていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

もう一度頑張ってみよう

前回書いた『かけがえのないもの」の時に子供の寝顔がどうして子供が産まれた日と重なったんだろうって、あの朝から考えていました。それだけ不思議な感覚だったからです。

 

↓前回書いたかけがえのないものと言う記事です。

 

orangelamp8.hatenadiary.jp

答えは、簡単でした。私の娘が生まれた日、新生児室に居たその我が子を見たときに私は、俺にも家族が出来た。守るべき存在が出来た。この子の為に頑張ろうって強く思ったことを思い出しました。

妻の病室を再度訪れて、疲れ切った妻に『ありがとう、頑張ったね』と言って、妻の頭を撫でました。その時から私は色んな事を必死に頑張りました。 特に仕事でもっと稼がなくっちゃと、、、。朝早くから夜遅くまで邁進しました。自分がこの家族を食べさせなきゃと頑張りました。

 

でも時が流れ、色んなものに甘えて、いつの間にか、あの時の誓いを忘れてしまっていたのかもしれません。

 

その間に色んな事があって、、、。子供もすくすく成長してくれました。

 

この子供の寝顔を見た日はこの入院3度目の一時帰宅をした朝でした。いつもの一時帰宅の時は入院時や辛い抗がん剤治療のパワーを充電する時間。でもこの時は、私は疲れ、妻も仕事をしながら家事をこなす為に、ぐったりと疲れ切っていて、精神的にも参っていました。でも、私には手助けをしてあげる元気も体力もありませんでした。妻は夕方重そうな体で必死に夕飯の準備をしてくれていました。その場を何も出来ずにウロウロしていた私を見て妻は私に辛い言葉で当たって来ました。この病気になってあんなに強く責められたのは初めてでした。私は謝ることしか出来ずに居ました。それを見た子供も元気がありません。

 

悪いのは、1年以上も働けずに悪性リンパ腫を再発させてしまった私です。

 

そんな空気をお前がどうにかしろと、子供が産まれた日の光景と重なることによって、私にもう一度頑張れって誰かが言ってるんだと思いました。

 

離ればなれの生活も辛い抗がん剤治療もまだまだ続きます。ここで、あの日のようにもう一度頑張ってみようと思いました。

 

病気を治して、あの時の様に必死に家族のために頑張ろう!頑張ってやるぞと思います。私が帰る場所へ、愛する存在がいる我が家こそかけがえのないものですから。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

感謝いたします。