(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

心身共にと言いますが。

心と体は表裏一体と言いますが本当にそうなんだと実感する日々が続いております。

 

『悪性リンパ腫』で入院したのが2016年の11月。

 

そうなんです。あと、1ヶ月足らずで去年のあの日になります。

 

外に出てみれば、風の匂いや気候、風の冷たさが私にあの日を思い出させます。

 

『悪性リンパ腫』は8月に寛解というひとつのゴールというか結末を迎えました。

 

でも、その頃から私の心の中で何やらざわめき起こり始めました。

 

体は随分と元気になりました。でも、体と一緒に頑張ってきた心がここに来て限界を越えたようです。

 

『自律神経失調症』です。

 

自律神経とは普段意識しなくても働いてくれる体の神経なのですがこれが不安やストレスの為に機能しなくなってしまいました。

 

辛い日々が続いております。

 

自分は何をやってるんだと思えば悲しくて涙が出ます。

 

呼吸すらまともにすることができません。

 

過去にも『鬱』になあったことはあるんですが、今回のは酷そうです。

 

食事、睡眠、運動、呼吸すら辛い状態です。

 

 

治療は終わったという解放感とは裏腹に社会復帰をしなければというプレッシャーやこの気候によって強烈なトラウマとなった再発への不安。

 

そして感じる家族との距離。

 

溜め息をつくことすら億劫で、何をする気にもなれません。

 

『悪性リンパ腫』の治療とは違って『鬱』にはゴールというか目標が見当たりません。

 

散々、病後も無理しないようにって言われてましたし、自分でも気を付けていたのですが、見事にハマっちゃいました。

 

こんなに苦しい日々が続くのなら、あの日に死んでおければ良かったと思うくらいです。

 

弱音なんか吐きたくないのですが、このブログは私の闘病すべてを書き記す為に始めたブログです。

 

正直、こうして頭に浮かんだ文字を書き興すことも、壮絶な苦しみがあります。

 

自分が自分でコントロール出来ない、感情も欲も。

 

寝れない日々が続き、食欲も無く、食べたいものも、やりたいことも浮かんできません。

 

頑張りすぎちゃいましたかね。

 

ここらで少し休もうと思います。

 

ここまで、無くした日々や時間を取り替えそうと無理しすぎちゃったのかなぁ。

 

少しだけ休みたいと思います。

 

まあ、焦らずに心も体も元気になる日が来るようにボチボチやっていきます。

 

原因は分かっているので少しずつ改善を図りたいと思います。

 

読んでいただいてありがとうございます。感謝いたします。

寛解した。イエ~イってならないよ。

『悪性リンパ腫』の為の抗がん剤治療が終了して、早2か月。自宅療養中で色々な事を思案、熟考する。そんな日々。

 

病気が終わった。さあ、社会復帰。

 

とは行きません。

 

がんや私の様な悪性リンパ腫の治療が終わって、すぐに社会復帰をしている方はもちろんいらっしゃいます。治療中でも、悪性細胞の進行スピードが遅い患者、進行度合いが低い方は外来で受診・治療しながら仕事を続けられている方も多くいらっしゃいます。

 

私の患者仲間の中にも居ます。

 

がんの治療をしながらの仕事や家事。

 

大変だと思います。頭が下がります。この副作用の中、あの不快感の中で更に心身ともにストレスがかかる事を行う事は、心労のボーナス一括払いの様なものだと思います。

 

そんな冗談言ってられないほど大変な事ですもん。

 

私に出来るか?

 

分かりません。

 

私の場合は、悪性細胞の進行スピードも速くて、進行度も最悪の段階でした。しかも、心臓に合併症が起きていて、いつ心筋梗塞や脳梗塞で倒れるか分からない状態でしたので、入院治療が望ましいという事になりました。

 

入院生活が始まり、抗がん剤治療を7クール。8か月の入院生活を強いられました。70kgの体重も60kgになり、筋力も落ちてしまい、自力で起き上がる事も歩くことも出来ませんでした。

 

今は退院して2か月経ち、体重も元に戻り、日常生活は出来るようになりました。

 

まだまだ、筋力も体力も戻っては無く、抗がん剤の副作用で手足のしびれや貧血の為か頭痛もあります。抵抗力もまだまだ低いので、生ものは食べられませんし、皮膚も爪も脆く剥がれやすかったりします。

 

今すぐに社会復帰とは行きません。

 

仮に社会復帰が出来たとしても以前と同じレベルで仕事が出来るかも分かりませんし、定期的に病院に検査に行かないといけないので、その度に会社を休むことなります。

 

お前は、がん患者だから。私は、がん患者だから。

 

と思って仕事をするという事はとてもストレスになると思います。

 

そして、たとえそう言った事を乗り越えて社会復帰したとしても、私の病気の『悪性リンパ腫』はとても再発率が高い病気です。

 

就職しました。→検査で月一休みます。→再発しました。→仕事辞めます。もしくは、長期に休みます。

 

こうなる事は、簡単に想像できます。

 

そして、誰も何処も助けてはくれません。会社も市も県も国も。

 

がん患者だろうと、これが理由で長期休職中だろうとも税金の請求は来ます。年金の請求は来ます。

 

日本と言う国に住んでいる以上は仕方がない事です。

 

私の年金は14年分消えていました。

 

福岡で働いていた2年間。大阪で働いていた8年間。熊本で働いた一部の4年間。の年金が消えていたのです。年金機構から封書が届いて、『あなたの年金の記録がありません。』という内容でした。そんな筈はないと色んな記録や資料を年金機構に送りました。電話も何度も何度もしました。

 

そして、半年後。

 

『あなたの記録を調べましたが、記録はありませんでした。』

 

でした。

 

私は間違いなく年金を払っていました。でも、記録がないと言われました。散々、手を使いましたが結果は変わりませんでした。

 

払っているのに記録がないと言われ、調べたけど出て来ないと言われてどうしようもありませんでした。

 

結果的には、職安に行ったときに私の職歴の記録があって、それをコピーしてもらって年金機構に持って行き、私の記録と照らし合わせたら

 

『ありました。』

 

と言われました。

 

詳しく訊いたら消えていた訳では無くて、私と言う人間と払われている年金の記録が紐付いてなかったと言う訳なんです。

 

ふざけるな!

 

ですよね。私は会社に勤めて働いてお金を稼いで、年金を納めていたのです。でも、その記録が私と結びついて無かったと言う訳なんです。

 

意味が分かりません。

 

たまたま、職安で私の職歴を目にしたので運よく紐付けることが出来て年金は復活しました。金額的には何百万円です。大金です。そのお金がありません。と言われてました。

 

酷い話です。

 

そして、今は年金を払えと言ってきます。とても働けない状況なのに。

 

この国に住んでる以上は仕方ない事ですが、とても辛い状況です。

 

病気になった時も病気を克服しても辛い内容は違えど辛い状況は変わりません。

 

病気の時は病気を治すという事に専念出来ましたから、むしろ楽なんじゃと思います。

 

早く社会復帰がしたいです。

 

働きたいです。

 

額に汗を流したいと思っています。

 

でも、まだ出来そうにありません。

 

私は運が悪かったのでしょうか?考えが足りなかったのでしょうか?自分を責める日々は病気の時も今も変わりません。

 

苦悩、苦渋の日々はまだまだ続きます。

 

社会復帰を果たすその時はまだまだ先のようです。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝申し上げます。

 

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医療関係者の皆様へ

『悪性リンパ腫』のがん患者として入院した8か月。私は多くのものを手に入れて、そして、多くのものを失った。

 

赤の他人ですが・・・。

 

 

 

 私は、循環器科に1か月半、血液内科に6か月半入院しておりました。去年の11月から6月末までの8か月間。

 

年末も年始も自分の誕生日も病院のベッドで一人過ごしました。

 

寂しかったです。

 

我が家で温かいものを食べて、好きな事をして過ごしたかったです。でも、出来ませんでした。だって、そんなことしていたら死んじゃいますもん。

 

辛かったです。

 

世界でこんなに苦しい思いをしているのは自分だけだと思えました。点滴用のチューブを首に繋がれ、心電図用の電極のコードで繋がれて、何処に行くのも一緒でした。

 

しんどかったです。

 

でも、今、生きています。美味しいご飯も食べれています。体重も5kg太りました。寝たい時に寝れて、起きたい時に起きれてます。したい事やって、見たいもの観てます。

 

幸せだと思います。

 

多くの時間とチャンスとお金を失ったけれど、多くのものも得る事が出来ました。

 

夢が出来ました。

 

かけがえのないものを見つける事も出来ました。

 

昔は死にたいと思いました。今は、生きたいと思っています。勝手なものだなと、つくづく思います。と、同時に人間ってそんなものだと思います。

 

私の中で燻り続けていた色んなものが、最近になってやっと動き出しました。ゆっくりゆっくりと転がり始めました。

 

最初は、動かす力もいるでしょう。でも、いったん転がり始めると惰性で転がって行くのかもしれません。

 

私に生きるチャンス、夢を叶える舞台へ上がるチャンスをくれた存在。

 

それは、抗がん剤だったり、医師だったり、看護師だったり、薬剤師だったり、検査技師だったり・・・。

 

もちろんそれ以外の多くの方々・・・。

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医療関係者の皆様へ

 

ありがとうござます。

 

あなた方が頑張って働いてくれているお陰で、私は今生きています。

 

仕事とは言え、私の我がままに付き合っていただき、私の声を聞いて下さり、ありがとうございました。

 

私は、今生きています。

 

私が生きていることを喜んでくれている大切な人々もいます。

 

あなたがあの時に頑張ってくれたからこそ、私も私が生きていることを喜んでくれているものも感謝しています。

 

医療の現場。

 

人間が働くにはあまりにも騒然な現場だと思います。

 

でも、人間を治せるのは人間しかいないと思います。人間を治すには温もりが必要だと思います。患者を想う温もりが・・・。

 

必要なんです。

 

少なくとも私はあなた方のぬくもりに救われました。

 

入院中は、医療の現場で働く人々に悩まされたり、不満を抱くことも少なくありませんでした。

 

でも・・・。

 

それを差し置いても、あなた方の頑張りに救われました。

 

赤の他人の私の命を救ってくれて。

 

ありがとう。

 

仕事でしょうが・・・。

 

仕事。

 

仕事は志事だと聞いたことがあります。医療の現場で働く方の多くは、師や士がつくお仕事です。志を持って、就職したのに離職される方も多い世界だと思います。

 

残念ながら私にはそれをどうもすることが出来ません。

 

でも、あなたたちが頑張ってくれているからこそ救われるものがあるのです。

 

ありがとうございます。

 

私は生きています。

 

あなたたちが居たからこそ、あなたたちが居たからこそ。

 

あなたたちが頑張り続けてくれたからこそ・・・。

 

ありがとう。

 

頑張ってますね。

 

いつもありがとうございます。

 

一がん患者より、感謝を申し上げます。

 

ありがとうございます。

 

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

寛解なんて考えられなかった。その3

風邪だと思ったのに診断結果はまさかの『悪性リンパ腫』多くの著名人も亡くなっている血液のがんだった。

 

がんと闘う日々。

 

 2017年の年明け早々に、『悪性リンパ腫』と告知をされての抗がん剤治療が始まりました。

 

R-CHOP療法(リツキサン、エンドキサン、アドリアシン、オンコビン、ステロイドを用いた治療法)の投与が始まりました。

 

その時に左右の首の付け根と左右の脇の下にあった、ゴルフボール程の腫れは2回目の抗がん剤が終了したころには無くなっていきました。

 

抗がん剤治療が2クール目を終えるころには、体中の毛が抜け始めました。ベッドの上に広がった、寝ている間に抜け落ちてしまった毛達を粘着ペーパーでコロコロと掃除する日々が続きました。

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入浴時にも、ごっそりと抜け落ちる髪の毛を見て絶望しました。

 

ああぁ。私はがん患者なんだと。

 

3クール目に入ると薬の量も治療方法もR-CHOP療法からR-EPOCH療法に変更になり私の不安は日々増しました。

 

それだけ病状が進んでいるという事でしょう

 

でも、この頃から『悪性リンパ腫』と言う病気を受け入れて、うまく付き合いながら闘う事を決めていた私は治療方法やこの病気の事を広く知ろうと決意していました。

 

敵を知り己を知れば百戦危うからず

 

この記事を書いたのは正にそんな時でした。

この事が後に私に勇気と知恵をもたらせてくれて、闘う力となってくれました。でも、その中で世の中には、色々な間違ったがんの治療方法があるのに気付きました。

 

世の中にあるがんの治療方法の殆どはお金儲けの材料なんじゃないかと思いました。

 

今現在、寛解したからこそ言える事なんですが、正しいがんの治療法とは、がん患者本人が、がんと闘う事を受け入れて、がんと上手く付き合いながら、信頼できる医師と共に、納得いく治療を行う事だと思います。

 

ほんの半年前までは死線を彷徨っていた私が、今もこうして言いたい事を書き記し、食べたいものを美味しく食べれるのは、これにつきます。

 

私は、今までの人生においても常にに対話を求めてきました。

 

今回も、自分が、がん患者だという事を受け入れてからは自分の体、心との対話をして、医師や看護師と常に対話を持ちました。

 

対話をするという事は、とても勇気がいる事で逃げも、ごまかしも効かないことかもしれません。でも、死という現実がそこにあって、喉元に鋭利なナイフを突きつけられている状況では、プライドも照れも、かなぐり捨てる事が出来ました。

 

だからこそ、今私は生きています。

 

今の世の中は、人間の約半分が『がん』になると言われています。

 

いつなるかも、何処に出るかも分かりません。

 

年間、何百億とお金と知恵と労力を懸けて、何十年研究しても、その全貌は分かっていないのです。残念な事ですが、このブログを読んでいる方の中にも、がん患者はいらっしゃるでしょう。家族ががん患者だという人も居るでしょう。

 

だからこそ私は、ブログを書き始めました。

 

自分ががんと闘うと決めたからこそ、自分の闘いを知って欲しいと思いました。姉からあなたもブログ書いてみたらと言われた時はそんな勇気もそんな気持ちもありませんでした。

 

でも、闘うと決めたからこそ、こうやってブログを書くことが出来ました。

 

自分の為に、同じがんと闘う患者の為に、がんと告知されて不安な夜を迎え、悔しい涙を流している仲間の為に、世界で一番勇気を与えられるブログにしようと思って、今日まで書いてきました。

 

このブログも、この記事で100記事目となりました。

 

頑張った。お疲れ様。おめでとう。

 

素直に自分に言ってあげる事が出来ます。

 

私は頑張りました。

 

そして、ここまで支えてくれた読者様、仲間たちに感謝します。

 

ありがとうございます。

 

 

2016年の11月に『悪性リンパ腫です。』と告げられた時は、全くの余裕も無くなってしまい、闘う事も、治すことも何もかもが考えられませんでした。

 

でも、時間が経って自分の中の小さな声、小さな勇気に耳を傾けていき、素直に全てを受け入れようと決心してからは、私は闘えると思いましたし、もしかしたら治るんじゃないのかと思いだしました。

 

寛解(かんかい)

 

まだ、その言葉の意味も知らない人が多いと思います。がん治療においては、他の病気や怪我の様に『治癒』完全に治った状態という表現が難しいと言います。だからこそ、寛解と言う、病状が落ち着き、病理上は悪性腫瘍が見受けられないという言葉があるんだと思います。

 

一般的に10年寛解した状態を保っていれば、がんが治ったと言われます。

 

私の闘いはこれから、10年続くわけです。ひょっとしたらその間に、再発したり、他の個所に新たな悪性腫瘍が現れるかもしれません。

 

でも、私はまた、闘いますよ。

 

また、全てを受け入れて、色んな物と対話をして闘います。

 

私は決して強い人間ではありません。でも、素直な人間だと思います。

 

この世のに存在するすべてのものに感謝をして、その全てから光を感じて、吸収して生きて行ければと思います。

 

すべてのものにありがとうございます。

 

すべてのものに感謝いたします。

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私はorangelamp

 

私はいま生きています。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

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寛解なんて考えられなかった。その2

風邪だと思ったのに診断結果はまさかの『悪性リンパ腫』多くの著名人も亡くなっている血液のがんだった。

 

そこには絶望しかなかった。

 

 12月22日。

 

もうすぐクリスマスというこの日に私は妻に車イスを押されながら循環器科の病棟から血液内科病棟へと移動を強いられた。

 

血液内科

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 その大きな人を寄せ付けない雰囲気の自動ドアはこの中は普通の生活が出来ないと言うことを十分に物語っていた。

 

私はこの場から今すぐにでも逃げ出したかった。

 

病気の治療なんかどうでもよかった。

 

がんの治療なんて。

 

治るかどうかも分からないのに。

 

私の母もがんの患者だった。

 

母もこの病院で治療をしながら苦しみながら死んでいった。苦しい苦しい、痛い痛いと言いながら必死に闘っていたのに、大好きな氷川きよしさんのコンサートに行くことも出来ずに、家族最後の旅行にも行けずに、天国へと一人旅立って行った。

 

その時、私は何も出来なかった。

 

私という人間を生んで育ててくれた大好きだった母親に最後まで何もしてあげられなかった。

 

『お母さんが眠るまでそこに居て』

 

という母最後の頼みさえ聞くことも出来なかった。

 

とんだ馬鹿野郎だ。だから我が身をもって贖罪するためにお前も『がん』になったんだと思ったりました。

 

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西1106号室

 

血液内科病棟で初めて案内された、この個室で私は一人孤独になり誰の言葉も耳には入れず、日中でもカーテンを締め切って、人の目を忍んでは泣き、自分を責めて、人生を悔い、目を腫らした。

 

どんなに泣こうが、どんなに嗚咽を漏らそうが私の病気は治らない。

 

『悪性リンパ腫』

 

がんとの闘い。

 

一方的にこの闘いのリングに担ぎ上げられて、まだ闘う準備も何も出来てない私は、この場から逃げ出したくてしょうがなかった。

 

でも、11階にあるこの部屋の窓は5cm程しか開かず、逃げ出すことも出来なかった。

 

私は逃げ出すことも許されなかった。

 

程なくして私の抗がん剤治療は始まった。

 

全身を心電図の電極のコードで繋がれて、抗がん剤の点滴のチューブに繋がれて、身動きも出来なかった。

 

大晦日も正月も自分の誕生日もこの病室で一人迎えた。

 

私は孤独だった。

 

家族も友人も医師も看護師も私の側に居てくれたのだけど、私は孤独だった。私は一人だった。

 

夜中に何度もトイレに行き、夜中に何度も寝汗でびしょびしょになった服を着替えた。

 

なんで自分が。なんで今なんだ。

 

何十回、何百回自問自答しようが答えは出なかった。

 

毎晩寝れずに夜中中観ていた海外のゾンビドラマの中のゾンビ達が羨ましくも思った。

 

人間は何と愚かな浅ましくも女々しい生き物なんだろう。

 

あのゾンビの様に私もいっその事誰かに撃ち殺してほしいとさえ思った。

 

私のがんの進行スピードは5段階中の4段階。進行度は4段階中の4。とても楽観視できる状態じゃなかった。

 

通常は抗がん剤治療開始前に行うPETCT検査さえ急を有すると言うことで抗がん剤治療が始まっていた。

 

私はこの時、正に死の縁に立っていた。

 

気力も希望も誇りもなく、ただ、その我が身を支えることさえめんどくさそうに。

 

でも、人は言う。

 

大丈夫。

 

元気になるよ。

 

頑張ってと。

 

私は頑張っているよ。闘っているんだ。無理やりこんな魔物と闘わされて、きつく苦しい思いをさせられて、なのにまだ頑張れと言うのか。

 

人の励ましが益々私を孤独にしていった。

 

でも、あの日、同じ血液内科で出会った女性の患者に救われた。私と同じ病気だと言う彼女は年も私より一回り以上も若く、あの熊本大地震の中に女の子を出産をしたらしかった。

 

その出産の過程で自身の病気を知ることとなり、闘病生活が始まったのだと言う。

 

命がけで生んだ可愛い我が子をその胸に抱けないと言う彼女の歯痒さが痛いほど伝わり、私は自分自身の情けなさから酷く申し訳なくなった。

 

俺も頑張ろう。

 

この出会いが私の中の何かを変えて、私の中の何かに光を与えた。

 

それから、この『悪性リンパ腫』と言う病気の事を知り、しっかりと心と体の準備をして行った。

 

やはり人から言われることより我が身で経験したことの方が遥かに身に付き遥かに為になった。

 

私はがん患者でもない何かの評論家の何かのがん治療法を信じない。

 

がん患者はがん患者にしか理解できないと思っている。

 

例えそれが近しい家族だとしても、がん患者の気持ちや思いはがん患者しか分からない。

 

と思う。家族のフォローは大事だ。でも、フォローとお節介は違う。『あなたの為だから』『治療のためだから』『絶対治るから』という言葉。治療中私の家族や他の患者の家族から繰り返し聞いたことがある言葉。この言葉に何度も私は苦しんだ。

 

それは寛解した今も続いている。

 

何を根拠に治ると言えるのか、何が良くて何が悪いのか患者でないのに判るもんか。

 

これが、患者としての私の言い分だ。

 

私は『悪性リンパ腫』と言う血液のがんになって変わった。

 

私は、我がままになった。

 

寛解なんて考えられなかった。その3に続きます。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

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