(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

私が行っているR-MPV療法について

平成29年の10月に再発が分かり、救急車で搬送された私ですが、『悪性リンパ腫』の再発場所が脳内という事もあり、その後の生活・治療にも色々と苦労があります。

 

このブログを更新するのも結構、消耗が強いられます。私の病名は『びまん性大細胞型B細胞リンパ腫』というものなのですが、再発場所が脳内という事もあって、その治療方法は、依然行っていたR-CHOP療法やR-EPOCH療法とはちがいます。

 

その大きな理由として、通常人間の脳は外敵から守る為に脳には『血液脳関門』と言う脳を守る門番があるらしいのです。その為、今まで行っていた治療法では、抗がん剤がこの門番を突破できないために、使えないという事でした。

 

それだけ、脳腫瘍の治療は厄介なようです。

 

それでも、治療しない訳には行かないので、脳に到達しやすい抗がん剤を使おうという事で、メソトレキセートと言う抗がん剤を使っています。このメソトレキセートをと以前も使っていたリツキサンを併用して使っています。

 

抗がん剤の治療は以前から行っているCVカテーテルを使って投与しています。

 

医師の話によると、このメソトレキセートとリツキサンを併用した抗がん剤治療を5回行って、その結果で、抗がん剤治療を続けるのか、放射線治療に移行するのかを判断するらしいです。

 

この悪性リンパ腫』の事をいれば知るほど、血液のがんなので体中に出来る可能性もありますし、外科手術の様に切除して、腫瘍を取り除くという事も出来ない病気なので厄介だなと思います。

 

再発前もR-CHOP療法とR-EPOCH療法を合わせて7コース行った事で、私の体から悪性細胞は無くなったと判断されました。でも、悪性の強い悪性細胞が残っていた可能性があったらしく、それが脳内を新しい住処として再発してしまったのです。

 

脳内に腫瘍が出来ると。色んな弊害が出てきます。私が今、実感している症状としては、ふらつき、眼が悪くなった、強い倦怠感、物覚えが悪くなったなどです。記憶に関しては、聞いた話、病院で預かったもの(書類など)を何処に置いたかなど思い出せない事もよくあるレベルです。

 

ここまで書いた治療が今日から始まります。現在4コース目で後、1コース終われば、その後の治療方法を判断されるという事になります。

 

上手くいって欲しいものです。

 

メソトレキセートを大量に投与された後も、体内にメソトレキセートが残っていると重篤な副作用を起こす可能性があると言われているので水分を大量に点滴で体内に入れられて、それを尿として出さないといけません。その尿を48時間後、72時間後に測定されてちゃんと体外に排出されているかの確認をされることになります。

 

毒性の強いものを輩出しないといけないという、強迫観念もあって、まさに、オシッコとの闘いです。

 

今回は、ここまで私の治療方法について書いてきましたけど、まだまだ、これを書くには早すぎたかもしれません。再発のショックをまだ乗り越えてないまま、自分の病気の事を知るということで、精神的にとても辛くなりました。

 

正に今自分は、悪性リンパ腫と言う病気と闘病をしているんだなと思います。治療も闘いもまだまだ続きます。多くの力を借りて、闘っていきたいと思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

もう一度頑張ってみよう

前回書いた『かけがえのないもの」の時に子供の寝顔がどうして子供が産まれた日と重なったんだろうって、あの朝から考えていました。それだけ不思議な感覚だったからです。

 

↓前回書いたかけがえのないものと言う記事です。

 

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答えは、簡単でした。私の娘が生まれた日、新生児室に居たその我が子を見たときに私は、俺にも家族が出来た。守るべき存在が出来た。この子の為に頑張ろうって強く思ったことを思い出しました。

妻の病室を再度訪れて、疲れ切った妻に『ありがとう、頑張ったね』と言って、妻の頭を撫でました。その時から私は色んな事を必死に頑張りました。 特に仕事でもっと稼がなくっちゃと、、、。朝早くから夜遅くまで邁進しました。自分がこの家族を食べさせなきゃと頑張りました。

 

でも時が流れ、色んなものに甘えて、いつの間にか、あの時の誓いを忘れてしまっていたのかもしれません。

 

その間に色んな事があって、、、。子供もすくすく成長してくれました。

 

この子供の寝顔を見た日はこの入院3度目の一時帰宅をした朝でした。いつもの一時帰宅の時は入院時や辛い抗がん剤治療のパワーを充電する時間。でもこの時は、私は疲れ、妻も仕事をしながら家事をこなす為に、ぐったりと疲れ切っていて、精神的にも参っていました。でも、私には手助けをしてあげる元気も体力もありませんでした。妻は夕方重そうな体で必死に夕飯の準備をしてくれていました。その場を何も出来ずにウロウロしていた私を見て妻は私に辛い言葉で当たって来ました。この病気になってあんなに強く責められたのは初めてでした。私は謝ることしか出来ずに居ました。それを見た子供も元気がありません。

 

悪いのは、1年以上も働けずに悪性リンパ腫を再発させてしまった私です。

 

そんな空気をお前がどうにかしろと、子供が産まれた日の光景と重なることによって、私にもう一度頑張れって誰かが言ってるんだと思いました。

 

離ればなれの生活も辛い抗がん剤治療もまだまだ続きます。ここで、あの日のようにもう一度頑張ってみようと思いました。

 

病気を治して、あの時の様に必死に家族のために頑張ろう!頑張ってやるぞと思います。私が帰る場所へ、愛する存在がいる我が家こそかけがえのないものですから。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

感謝いたします。

かけがえのないもの

私は今、抗がん剤治療のインターバル(抗がん剤を使う間隔を空けえないといけない)為に1週間だけ自宅に戻っております。

 

それは今朝の事でした、私の睡眠障害の為に普段は、別の部屋で寝ているのですが、この日は、私が無性にさみしくなってしまい家族3人一緒に同じ部屋で寝る事にしました。

 

そして明け方。私は寒さの為かお腹を下してしまって目を覚ましました。トイレを済ませて自分の布団の場所に戻いました。

 

隣には娘が寝ていました。

 

私が入院している血液内科病棟は感染症予防の為に12歳以下の入室が禁止となっています。その為に入院期間中は娘とは殆ど会う事が出来ない為、娘と会えるのは、この抗がん剤治療の合間である1週間に限られしまいます。

 

いつも会いたくて会いたくて堪りません。病院のベッドの上でも娘を取ったスマホの写真などを見てしまうと涙が溢れてしまいます。

 

私は、隣で寝ている娘の手を取ったり、頭を撫でたりしながら、何時間も彼女の顔を眺めていました。

 

その顔は、彼女が生まれた病院で新生児室をガラス越しに見たときのこの顔は、うちの子に違いない。(妻に顔がそっくりでしたから)と思ったあの頃と同じような寝顔でした。

 

私の頬に暖かいものが流れます。

 

あれから何年経ったんだろう。

 

私は、この子に何が出来たんだろう。

 

涙は次々に流れ落ちて中々止まりませんでした。

 

すやすやと穏やかに眠る彼女の寝顔は、自分の父親の状況も理解しているように見えました。当人の私は、悪性リンパ腫の再発のショックで、夜も眠れずに、食欲もなく、時々パニック障害に陥っては、薬に頼っている有様です。

 

ぞ分が情けなくなりました。

 

このままじゃいけない。

 

かけがえのない娘との時間。

 

早く病気を治して、帰って来なければ彼女はドンドン成長していってしまう。その成長を傍で見てあげていたいのに。

 

その後も暫らく彼女の寝顔を見ていました。彼女の隣で寝ている妻の寝顔に瓜二つです。

 

早く帰って来たい。自分がいる場所はここなんだ。

 

そう強く思いました。

 

明日からは、また入院です。娘とも妻とも暫くは会えません。

 

健康な時もそうじゃない時も、自分はもっとこのかけがえのない笑顔の為に何かできたんじゃないのか。

 

そんな事を考えているうちに夜が明けました。

 

家族の傍に居たい。

 

これが私の一番の思いかもしれません。その為には、この悪性リンパ腫の再発というものを克服しないといけません。

 

あの小さかった娘が。何処に行っても何をやっていても『パパ』と言っていた娘が、日に日に成長して自分で考え行動するようになりました。親としては喜ばしい事なのでしょうが、もう少し、もう少しだけこの健気で幼い娘の寝顔を見ていたいと思った朝でした。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

ここまでの闘病生活

平成28年の11月に38度を超える熱が出た。それがすべての始まりでした。

 

近所の病院に行き出された診断結果は『風邪』でした。私は、風邪薬を処方してもらいその薬を飲みながら数日普通に仕事にも行ってました。でも、一向に熱も下がらず、胸にも違和感と言うか息苦しさを感じた為に違う病院に行き胸のレントゲンを撮ってもらいました。結果は、心臓が肥大している。ここでは見れないので、総合病院に行ってください。

 

総合病院に行って胸のエコーを見てもらったら心臓の周りにある心膜と言う膜と心臓の間に水が溜まっているという事でした。すぐに大学病院へ紹介状を書いてもらって、大学病院へ向かいます。

 

大学病院へ行ってみると、即入院んでした。

 

なぜ、心膜と心臓の間に水が溜まっているんだという原因を調べるために、次の日から色んな検査を行いました。脇下のリンパ節、あごの下のリンパ節、骨髄液も抜いて、生研を行いました。検査結果が出るまでは2週間。毎日、昼夜関係なく40度を超える熱にうなされます。心臓と心膜にも水がどんどん溜まって行くために息苦しさも相当なものでした。

 

そして、心臓に溜まった水を抜くための手術を行いました。

 

1.5ℓから2ℓほど溜まっていたその実時の中に血液が混じっていたという事で、医師たちがざわめきました。数日後、私に告げられた診断結果は『悪性リンパ腫』病名は(びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫)という血液のがんでした。

 

私は、42歳でがん患者となってしまったのです。

 

悪性リンパ腫と言う病気は、年齢性別関係なく発祥する可能性があるという血液のがんです。詳しくこちらを

悪性リンパ腫 基礎知識:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

 

他のがんとは違って何処にでも出来る可能性があります。この時の私は胸の真ん中あたりに出来ていたので心臓が炎症を起こしたようです。

 

治療は主に抗がん剤を使った化学療法や放射線などを照射して悪性細胞を消滅させていく事になります。

 

悪性リンパ腫と言ってもその種類は何十種類もあって治療方法も様々です。この時の私は、1月の4日から抗がん剤治療を始めR-CHOP療法を2クールR-EPOCH療法と言う治療法を5クールの合計7クール行いました。

 

その甲斐あって、28年の11月から始まった入院治療の生活も6月に終了して自宅療養を始めます。そして、8月に行ったPETCTと言うがん細胞の有無を知らべる検査でも、がん細胞は見受けられないという嬉しい結果が出て、寛解となりました。

 

悪性リンパ腫が寛解したという事で体に残る抗がん剤の副作用を気にしながらも社会復帰への道を模索したり、こんな機会は無いと夏休みの娘と夏休みを楽しんだりしていました。

 

がんは治ったんだ。これからは、家族で一緒にご飯食べたり、お風呂入ったり、一緒に寝たりできる。そんな生活を満喫していた平成29年10月27日前日の夜中から続いた頭痛の為に救急車で再び、大学病院へと戻って来ました。

 

とにかく今まで経験したことのない頭痛でした。

 

そして、出された診断結果は『びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫。悪性リンパ腫の再発』でした。28年の11月から8か月寂しい入院生活を過ごし家族の元に戻ってたった2か月で私はまた、『悪性リンパ腫』との闘病をしなければならなくなった瞬間でした。あれから、1か月がたちますが、自分は、家族は何の為に8か月闘って来たのか、なのに、たった2か月で再発です。

 

悔しくて悔しくて悲しくて悲しくて、夜は睡眠導入剤を飲んでも中々眠る事が出来ず、昼間には働けない自分、何もできない自分に悲観し、パニック障害を起こしたり、涙が流れたりします。

 

薬に頼ってやっと眠ったとしても、朝はすぐに訪れ、私に悪性リンパ腫の再発と言う現実をまざまざと見せつけます。

 

今回の再発場所は脳内という事で、抗がん剤を使った化学療法を5~7回行い、その他に放射線治療を行うかもしれないという治療をするらしいです。

 

私と私の闘いはまだまだ続きます。悲しいですがこれが現実です。

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10月26日撮影、入院時の写真左側の白い部分が再発した悪性腫瘍です。

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↑右の写真が上の写真と同じ場所の12月4日撮影したMRIの写真です。3回の抗がん剤の治療の成果か白い腫瘍の部分は縮小したように見えます。

 

医師の説明では、治療はおおむね順調で悪性腫瘍も縮小しているという事でした。確かに嬉しい結果ですが、闘いはまだまだ続きますし、完全になくならないと治らないのがこの悪性リンパ腫と言う病気です。

 

8月に悪性腫瘍は無くなりました。寛解ですと言われたのに、たった2か月でここまで悪性腫瘍が成長してまた闘いが始まるなんて。

 

毎月の大学病院への定期健診、普段の節制はなんだったのか、悪性腫瘍は小さくなったように見えますが私の心、私の家族の負担はどんどん大きくなるのです。今日も火が明けました。嫌でも現実を見なくてはなりません。私たちの闘いは、まだ続きます。

 

毎日、ほとんど寝れません。

 

これが今の私の現実です。寂しく孤独でびくびくしながらの日々は続くのです。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。

 

感謝いたします。

 

 

何も出来なくなちゃった。

今回の内容は、少し私にとって辛い内容です。

 

今の私に何が出来るのかこれが私の心の支えでもありました。昨年の11月に悪性リンパ腫と告知されて、闘病生活が始まったころからずっとこれが支えでした。

 

私が残したいものをテーマとして書いている

www.orangelamp8.com

も私が作るものや料理、子供と一緒にやったことなどを書き綴って参りました。

 

この悪性リンパ腫闘病記の中でも1クールごとに訪れる一時帰宅は毎回楽しみにしていて、今度帰ったら何を使用かなど、一時帰宅の度に思っていました。

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例えば子供が好きな料理を作ったり、一緒に遊んだり、自分用の椅子を作ったりしました。入院生活は孤独で、一日でも早く一時帰宅をして子供と色んな事をしたり、色んな料理を作って一緒に食べる。

それが次の治療の最高のエネルギーとなっていました。

 

でも、今回悪性リンパ腫が脳内で再発してからというもの、ショックのせいなのか体力的なものなのかそれともうつうつとしている為なのか、なにも出来なくなってしまいました。

 

いつも前向きに物事をとらえて乗り越えていくのが自分だと思っていたのですが、夜は、睡眠導入剤に頼っても中々寝れず、虚ろに起きたとしても、全く何をする気が起きないのです。前は違いました。朝起きたら2,3記事のブログの更新をして、朝食をとって、家事をしたり、ゲームをしたりして過ごしていたような気がします。

 

でも、寛解と言われて次は社会復帰だと思い始めた頃から私の中で焦りが出始め、孤独を感じるようになって、夜も寝れなくなったような気がします。

 

そんな矢先の10月27日に激しい頭痛と吐き気を覚えて救急車で運ばれました。そこで私に下された診断結果は悪性リンパ腫の再発でした。その2か月前の8月の検査では私の体から悪性の腫瘍は消えて寛解と言う嬉しい結果でした。

 

なのに。

 

寛解と言われたのにわずか2か月での悪性リンパ腫の再発です。しかも、今回、再発場所は脳内でした。この為に体が不自由になったり、記憶障害が起こりました。10月27日の緊急搬送依頼私の治療は進み脳内の腫瘍はずいぶんと小さくなったと言われました。

その結果、12月5日に一時帰宅が許されて、数日間自宅で療養を行っています。以前でしたら、あれ食べて、あれやってと、一時帰宅中の欲は留まる事を知りませんでした。でも、今回は違います。家族と居るのにいつも疎外感、孤独感を感じ一家団欒を楽しめていない自分が居るのです。

 

ご飯を食べて、お風呂に入って家族でテレビを観ながら笑うと言ったどこの家庭でもある風景の中でも私はひとり、ぼーっとしています。

 

原因は何だろうといつも思います。おそらくその一つは、悪性リンパ腫の再発によるショック。これが一番だと思います。これが無かったら今頃は家族のために働いていた筈でしょうから、、、。

 

でも、現状では今回再発した悪性リンパ腫の治療もおそらくあと半年はかかるでしょう。

 

申し訳ないのです。

 

妻にも娘にも。

 

去年の11月に入院して家族で必死に支え合って、寛解を迎えたまでの日々を想えば、そう簡単にもう一回頑張ろうという気持ちにはなれません。

 

私はいつも、この申し訳なさでいっぱいです。

 

こんな調子で一時帰宅中なので、朝ごはんを用意してくれても別にいいや、昼ごはんも別にいいや、気晴らしに散歩でもと思っても12月のこの気候ではそう簡単には行きません。ましてや筋力も落ちふらつきもあるのです。

 

だから、家で寝ては起き、寝ては起きを繰り返して、起きたときには孤独になり、自分は何をしているんだという思いに支配されて、要らない人間じゃないのかと思って動悸が激しくなり、パニックになります。そして、処方された安定剤をのんで、落ち着きを取り戻して横になるという事を繰り返しています。

 

今の私に出来る事。

何も無いかもしれません。

子供の授業参観に参加したり簡単な料理は必死になってやったりもしますが、やるまでの気持ちが一向に起きないのです。腰が重いと言いますか何もやる気が起きません。

 

今私の心の中では、壮絶な葛藤の闘いが起きていると思います。何かやらなきゃと思う自分と何もできない自分。何もしなくて良いよと家族は言いますが、それがかえって申し訳なく感じるのです。

 

何も出来ないのは事実ですし、何かをやる気を起こす為にどうすれば良いかなんて分かりません。

 

子の再発した悪性リンパ腫が消えるまでこの葛藤は終わらないかもしれません。クリスマス、お正月、娘の誕生日とイベントごとは目白押しなのに・・・。

 

私は一人部屋に籠って虚ろな目で天井を眺めて、時には涙します。何やっているんだろう。こんな筈じゃなかったのにな。こんな自問自答を何百回したか分かりません。

 

今の私に出来ることをやる気になるまでは、自分でやらないとと思います。

 

まあ、今まで触りもしなかったパソコンでこのブログを書けたことは、ひょっとしたら大きな一歩かもしれません。障害の影響か抗がん剤の副作用かで指は持ったようには動いてくれませんでしたが何とか書くことが出来ました。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。