(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療6クール目 その①

抗がん剤治療6クール目も『粉瘤』が炎症を起こすという事でまさかの途中退院。結局、2週間後に再入院することとなった。

 

私の体にある変化が起こった。

 

いつも通りだったら、私の抗がん剤投与は、R-EPOCHと言う療法で用いる薬を1週間点滴で連続投与して、その後21日間隔をあけるという方法で行われた。しかし、今回は背中の粉瘤が炎症を起こしてしまい抗がん剤の投与が好ましくないという事で一度退院を余儀なくされた。

 

5クール目の抗がん剤投与が終わって退院まで9日間。退院して1週間。6クール目の為に入院するも粉瘤の為に退院して2週間。

 

抗がん剤治療を始めてから初めて私の体に1か月以上抗がん剤が入らなかった。

 

その為に私の体に変化が見られた。

 

それは、私のからだ中から消えていた毛がまた生えて来たということ。

 

髪の毛も、うっすらと生えてきて、髭も生えて来た。心なしか以前の毛質よりも柔らかい感じがするのだけれど、少し嬉しかった。

 

↓後頭部

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↓髭も顔の毛も生えてきました。

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顔の毛は以前よりも本数的に多そうで、このまま生えればスターウオーズのチューバッカみたいになるのではないかと心配ですが、何とか生えて来てくれたことに感謝したいと思いました。

 

私の体から毛が消えたのは抗がん剤治療が始まってから3か月後位。それから3か月は頭もスキンヘッドのまま過ごしています。たまに不意に鏡に映る自分の姿を見て、ハッっとします。それだけまだ自分の中で受け入れられていないのかもしれません。

 

でも、この時に生えてきた毛達を見て、闘っているのは自分の心だけではなくて体も闘ってくれているのだという事が分かって嬉しくもあり誇らしくもありました。

 

確かに医師や看護医師の話では、治療が終われば抜けた髪の毛も3か月から半年ほどすれば、新しく生えて来るとは言われていましたが本当のところは分かりませんでした。

 

実際にはどれ位で生えて来るのですか?と訊いても、それは個人差があると言われてしまうからです。

 

個人差

 

抗がん剤が効くかどうかも個人差。副作用が出るかどうかも個人差。副作用からの回復も個人差。

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何でもかんでも個人差なのです。

 

確かに人間の体は機械ではないので完全なコピーなどではないのですから、正確なデータを取る事は出来ないかもしれません。

 

でも、この個人差と言う言葉で片づけられたら夢も希望も無くしてしまうというのが、私と言う一抗がん剤治療者の気持ちです。

 

嘘でも良いのでこれぐらいで生えてきます。治ります。回復します。と力強く言って欲しいものです。立場上、そういうわけにもいかないのでしょうけど。

 

少なくとも、もしそれで駄目でも私は文句など言わないのですけどね。

 

こればっかりは致し方ない事だと思いますけど。

 

今回、粉瘤が炎症を起こしてしまったという事もあって、私の抗がん剤治療の薬の投薬強度は前回までのレベル3からレベル2に下げられることとなりました。

 

こうして、私の『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療6クール目が開始されました。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。ありがとうございました。

 

 

抗がん剤治療6クール目開始。のはずがトラブル発生。

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療5クール目が終わり自宅で過ごしていた時、私の身にこの治療が始まって初めてのトラブルが起きました。今回はそれを書いていきたいと思います。

 

退院3,4日目から痛みが発生。

 

退院して自宅で本能が赴くままに過ごしていた時、私の体にひとつの違和感と言うか痛みが発生した。背中の痛みである。

 

正確に言うと背中に出来た『粉瘤』(アテロームとも言う)と言うこぶのようなものの表面の皮膚の炎症の痛み。粉瘤とは脂や皮脂のかす等が皮膚の中に袋状となって溜まってしまうものである。私の場合は、20歳過ぎたくらいから背中に出来ていて、一度、皮膚科に診てもらったら悪性でも何でもないので今すぐとる必要はないという事で、そのまま20年位放置していたものだった。

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でも、ここ2,3日その長年の付き合いの粉瘤の表面の皮膚が赤く腫れだした。

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背中に出来ているので、寝ているのも痛くて背中をつけて寝れないほどになっていた。

 

(病院に連絡したら即入院になるかも。それは嫌だ。)

 

そう思った私は、病院にまだまだ戻りたくない一心で病院への連絡は怠った。

 

でも、あまりの痛みの為に翌日連絡することになるのだけど・・・。

 

連絡した結果は、あと3日後に抗がん剤治療の為に入院なので、それまでは処方されている抗生物質を服用して過ごすという指示だった。私は素直にそれに従い3日後、入院をした。

 

入院初日に、いつも通り心エコー、心電図、レントゲン、造影剤を使ってのCT撮影、血液検査を行った。どれも、問題はなかった。

 

問題は背中の粉瘤だった。

 

炎症を起こして、表面の皮膚が破裂して中から膿が出て来ていて悪臭を放っていた。

さすがにこういう状態になると私もびびった。

 

閲覧注意↓粉瘤から膿が出ている画像です。

https://goo.gl/DaScUS

 

これが原因で感染症になるのではないかと、びびってしまった。

 

皮膚科の医師の診察では完治までは3週間から1か月を要し、その間は抗がん剤の治療は望ましくないという事。

 

1か月もの間、抗がん剤治療が出来ないという事は、その間にがんが進行してしまうって事なの?!その間は私は何処に居ればいいの?!

 

そういった疑問がよぎったが、それは私の担当医も同じだった。入院してて、もらった方が良いという医師に対し、入院していても抗がん剤の治療は出来ないのでは時間とお金の無駄なのではないのかと言う私。そしてその間に立つ担当の看護師。

 

結果、担当医が私の意見をくんでくれて一旦退院となった。

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炎症を起こしている患部を毎日、入浴時に石鹸で洗い清潔に保ち、処方されたユーパスタと言う軟膏を患部に塗って肉毛を再生させて、開いた患部を閉じるのを待つという事になった。

 

1泊2日で家に戻ることになった私は、持ってきていた大量の荷物と共に自宅へ帰る羽目に。背中に爆弾を抱えたまま。

 

とりあえず1週間後の皮膚科の診察までは様子を見る事ととなった。これまで、抗がん剤治療が始まって大きなトラブルもなく順調に進んでいたにもかかわらず、ここにきての皮膚の炎症。これが、抵抗力が落ちているという事なのか。

 

抗がん剤治療を一旦始めてしまえば、出血を伴う事には注意しなければいけない。なぜならその傷口から雑菌は侵入してしまうと感染症に感染してしまう確率がぐっと高くなるからだ。

 

抗がん剤治療者は抗がん剤によって体の免疫力は健康な人よりも極端に落ちてしまう。

 

たとえこの治療が終わったとしても、元の健康な体の抵抗力は戻らないと言われている。だから、感染症には特に注意しなければいけない。

 

以前のこのブログでも書いたが、抗がん剤治療を開始前に必ず虫歯の治療やその他の出血を伴う治療が必要な場合は早めに処置をしていた方が無難だと思った。

 

まさか、自分が抗がん剤治療をすることになるとは夢にも思わなかったのだけれど・・・。

 

もう、あの時には戻れないんだな・・・。

 

この日も夜、布団の中でふと思った。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

退院中の過ごし方

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療5クール目が終了して5回目の退院。1週間後には、6クール目が始まるので暫しの日常生活。入院中に書き記していた食べたいもの。作りたいもの。行きたい場所をこなしていきたい。のだが・・・。

 

我がまま言って退院したからなぁ。

 

退院して3日経つが私はまだ布団から出れずにいた。退院出来たからと言ってこの病気が治った訳でもないし、元気になった訳でもない。単純に抗がん剤を再投与する時間を前回の投与から21日間、開けないといけないので家に帰されるというだけの事。

 

それでも、病院のベッドと我が家の布団での寝心地は段違いな訳だけど。

 

正直言って今回の退院は早すぎたと思う。白血球も低かったし、好中球も低いので感染症に感染するリスクは高いし、赤血球も低いので貧血で頭は痛いし、目眩もする。

 

家に帰って来ても何もできずに布団で寝ているだけの日々なのである。

 

その上、子供や猫に度々、睡眠、休息を邪魔される。子供も猫たちも私が帰ってきて嬉しい気持ちは私も同じで嬉しいのだけれど、もう少しお手柔らかにお願いしたいと思った。それでも、我が家の方が精神衛生上は落ち着く。

 

なんとも贅沢な悩みなのか。

 

今回の退院時には、やりたいことが山ほどあった。去年の地震で割れてしまって組もバラバラのお皿たちを揃えたかったし、自分専用の椅子も作りたかった。

 

塩ラーメンも食べたかったし、大阪の某豚まんも家に届く予定だった。入院生活が始まって半年。いい加減私の中の欲望と言うか煩悩というものが我慢の限界に達していて表に出てきた時期だった。

 

退院後、3,4日は大人しくしていたのだけれど、それ以降は欲望の赴くままに動いて、食べて、寝た。

 

ブルーベリーパイを焼きました。

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BBQをみんなでしました。

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欲しかったホットサンドベーカーを買ってホットサンド作りました。

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大好きな塩ラーメン食べに行きました。

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大好きな豚骨ラーメンとかつ丼も食べに行きました。

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家庭訪問だったので先生にイチゴのミルフィーユ作りました。

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食べたかったバターアスパラガスとお好み焼きと揚げ出し茄子を作りました。

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食べたかった大阪の某豚まんも通販で買って食べました。

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妻と子供に久々にお弁当作りました。

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こうやってあらためて見てみると食べ物ばっかりなのですが入院中に食べれないというストレスが一気に爆発した感じになりました。それだけ、辛いんだなと思います。

 

カロリーの摂り過ぎだと思いますがストレスがこの病気の一番の原因だと思っているので、この退院の時には本能の赴くままに行動してストレスがたまらないようにしています。

 

入院中と退院中で、この気持ちの切り替えも大変ですが、これが半年間の入退院生活の中で自分の中で出た答えのひとつなのかもしれません。それと家族の為に何かしたいという思いなのかもしれません。

 

何でこんな病気になったんだ。なんでこんなに我慢しないといけないんだ。

 

と言う思いは入院中も退院中も付き纏いますけれど・・・。

 

退院中は出来るだけ自分のやりたい事、食べたいもの、行きたい場所に行き、次の入院の為の充電をするようにしました。

 

これが私の退院中の過ごし方です。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

抗がん剤治療5クール目 その7

辛い辛い抗がん剤治療5クール目もいよいよ終盤。何とかこの回復期までたどり着いたのだけれど、一向に私の血液細胞たちは増えて来ない。どうしたものか。

 

月曜日。朝一番の採血。

 

抗がん剤投与の長く苦しい一週間が過ぎて、その後の一週間。この5クール目もこの日でちょうど2週間になる。相変わらず体も辛く、食欲もほとんどない。体重もこの2週間で3kgほど痩せてしまった。

 

早く家に帰って美味しいものを食べたい。

 

本当にこれにつきます。自分の部屋でゆっくり寝たい。家族と一緒に居たいという思いも勿論ありますが、その欲望の中でも断然この美味しいものを食べたい。入院後半、考えてる事、生きて行くための希望は、これにつきます。

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その為に当然、この日の朝の採血に全てをかけるのです。抜き取られていく自分の血液を眺めながら『頼むぞ!!!』と。

 

その願いの結果は・・・。

 

『病室外外出禁止です!』

 

担当医から告げられた非情な宣告。この日の採血の結果は白血球、その中の好中球、共に過去最低の結果となりました。昨日までの気分転換の散歩や談話室での間食も出来なくなってしまいました。

 

幸いクリーンルームという完全遮断の隔離部屋に入る事やビニールカーテンの中に入ることはなかったのですが、それでも辛い外出禁止です。

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↑血液細胞の数値が低くなった場合にはこのビニールカーテンをベッドに置かれます。この中には空気清浄用のファンがついていて常時、空気を清浄してくれますが音がうるさいです。

 

自分の家の中ならば喜んで2,3日籠ってられますが、病室の中に最低でも水曜日の採血まで病室の外に出れないのは精神的に参ります。特に食事の時間の他の患者の食事の匂いが苦痛でたまらないのに。

 

でも、血液病、抗がん剤治療をしている私が一番怖いのは感染症。それこそ、何らかの原因で感染症になってしまえば、命に関わる重篤な状態になるかもしれません。

 

だから、大人しくしないといけません。

 

暇で、暇で、楽しくもない、この病室のベッドの上で、氷枕を頭に敷いてふて寝です。

 

完全に。

 

眠たくもないのに寝ます。少しでも時間が早く進むように。

 

そのせいで夜中寝れなくなるのですけれど。

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↑外出禁止と言われて、急いで完全防備で買いに行った食料や飲み物。別に食べたかったり飲みたかったりするものでもないのですけれど・・・。ストレスが買わせてしまうのでしょうか。

 

この日の結果は、白血球が700マイクロリットルで、好中球がその30%という事は210マイクロリットル。

 

やっぱりこの数値じゃ退院は無理ですね。病院の規定では好中球が最低でも600マイクロリットルないと退院は出来ません。

 

でもこの時は210マイクロリットル。これ以上下がってしまうと隔離されてしまいます。

 

何度も、下がりすぎて隔離された患者さん見たことありますし、何度も退院中に何らかの感染症に感染して担ぎ込まれてきた人見てきました。

 

大人しくしておきます。

 

こうして、面白くも何の変化もない毎日をだらだらと過ごし、次の採血で数値自体は若干低めだったにも拘らずゴールデンウイークに入るという事もあり、我がまま言って、私の5回目の入院生活は終わりました。

 

R-EPOCH療法レベル3の治療の3回目というものは本当にきつく。辛いものでした。何と表現して良いのかも分かりませんけれど、すべての副作用の強度と言うか不快感が劇的に増したような感じでした。

 

薬の量が増え、回数が増えればそれだけ自分の体に現れる副作用も増し、抗がん剤によって壊された血液細胞は中々、回復せずに入院の期間も増えていきます。その目に見えない症状は何処まで行ってもがん患者を苦しませるものなんだなと思いました。

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何度この景色を虚ろなまなざしで見つめたものか。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

抗がん剤治療5クール目 その6

『悪性リンパ腫』となっての5回目の抗がん剤治療もいよいよ終盤。この5クール目は本当に精神的にも肉体的にもしんどかった。一番辛かったのかもしれない。

 

R-EPOCH療法レベル3の治療がもたらしたもの

 

動けない。

 

それほど今回の5クール目はきつかった。今まで行って来た治療がまるで抗がん剤治療の予行練習だったかのように辛く苦しいものだった。

 

何でこんなにきつい目に合わなければいけないのか、私よりももっと辛い目に合えばいいのにって思う人間はいくらでもいるだろうにと言う恨み節を言いたくなるくらいに今回の治療はきつく苦しいものだった。

 

何もかもが辛く苦しい。

 

今まで私が行った抗がん剤治療は、

1回目R-CHOP療法 (心臓に合併症があったためにRのリツキサンは無し)

2回目R-EPOCH療法レベル2

3回目R-EPOCH療法レベル3

4回目R-EPOCH療法レベル3

5回目R-EPOCH療法レベル3

 

私が行っているR-EPOCH療法はEPOCH±R療法とも言われ、患者の病状や悪性腫瘍の状態によって薬の量を増減させる治療方法でもある。

 

その治療のレベル3での3回目。

 

何もかもが限界に来ていたのかもしれない。一週間以上も食べ物をほとんど口にすることも出来ず、飲み物しか口に出来なかった。理由はいくらでもあった。副作用から来ている吐き気、倦怠感、虚脱感、頭痛、口内炎、舌炎、顎関節症。

 

その全てが私の食欲を奪ってしまった。

 

それ以外にも、家族や友人が見舞いに来てくれると言っても会う事が出来ず、患者仲間たちが何度か病室を訪れてくれたけれど、話すことも出来なかった。

 

まどろみベッドの上で何もする気にも何もできずに芋虫の様にモゾモゾと這いつくばっていた。

 

 

入院して一週間。何も食べてないと言った私の元に子供と父が果物を持ってきてくれた。体調は決して良くは無いのだけれど、おぼつかない足取りで談話室へと向かった。

 

そこには子供が待っていてくれて、嬉しそうに私を迎えてくれた。

『パパ果物持ってきたよ』そう言って笑顔で果物を私に掲げてくれた。

 

そして、父と共に私の為に一生懸命洗ってくれた。

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本来イチゴは感染症対策の為にあまり食べない方が良いとされている食べ物だけれど、せっかく、父と子供が持ってきてくれた食べ物だから食べてしまった。

 

まあ、この時は食べてはいけないという知識も無かったのだけれど。白いイチゴなんてこの時に初めて食べました。

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大好きなオレンジも持ってきてくれたけれど、切るものが無いんだよなぁ。この辺が母と父の違いですかね。

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まあ、その殆どは子供に食べられるんですけどね(笑)

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父と子供が二人で私の為に果物を洗ってくれているところや、二人のやり取り、自分の口よりも大きいイチゴを次から次へと頬張って、リスもビックリするほど、その両頬を膨らませている子供を見てものすごく元気をもらいました。そんな孫を父が見ながら楽しそうに笑う姿も私に力をくれました。

 

治療は辛いけれど、私には帰れる場所があって待っててくれる人たちがいる。それだけで、闘う勇気と力が湧いてきました。

 

エレベーターで元気に手を振る我が子と申し訳なさそうに力なく手を振る父の姿にも胸を打たれて、私は病室に戻って一人涙しました。

 

『変わってあげられるのなら変わってあげたい。お母さんの時も思ったけれど、こればっかりはね。』

 

そう言って悔しそうに窓の外を眺める父の表情に『大丈夫よ』と言っては見たもの、たとえ変わる事が出来たとしてもこんな苦しみ金輪際私だけで十分だと思いました。

 

『帰ろう。みんなの元へ。』

 

私はその日、鎮痛剤と吐き気止めを服用して早めに眠りにつきました。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。