(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療6クール目 その⑥

6回目の入院をしてから、この日で10日間ほどたった。6回目のR-EPOCH療法による抗がん剤の投与も終えて回復期に入っていた。

 

相変わらず微睡む世界。

 

眠たくて眠ってる訳でも疲れ果てて、うつらうつらしている訳でもない。ただ、体がきつくて、怠くて、そうしているだけだった。まるで、入院当初に戻った様なそんな無力な自分。時間を持て余し、体中の不快感、痛みが過ぎてくれるのを寝る事で逃げていた。でも実際は、そう寝れるわけもなく、この体から抗がん剤が出て行ってくれることを願うだけの抵抗だった。

 

何度も無理やり目を閉じては寝て、悪い夢を観て起き、また無理やり目を閉じる。何度も時計を見るがその時計の針は、私の期待とは裏腹に一向に進んではくれなかった。

 

頭にはベルトを巻かれてぎゅうぎゅうと締め付けられて、胸の上には重たい何かを乗せられているような痛さ、苦しさがあり、体中が熱いので何度も体温計で測っては見るが

熱は平熱のままだった。

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抗がん剤の副作用で血液抑制されて赤血球も極端に減っており、その時の貧血は酷いものだった。さらに私は低血圧なので立ち上がれないほどにつらかった。

 

もうすぐで、5月も終わるというこの頃、私の次の目標と言うか日々の励みは学年が一つ上がったばかりの娘の運動会に行く事だった。

 

ここ最近の娘からの電話やメールの内容は『パパ運動会に来る?』というものばかりだった。

 

でも、こればっかりは神のみぞ知ると言う感じで、私はどうすることも出来なかった。出来ることと言えば、この痛み、不快感にじっと耐えて、感染症の予防に努める事。

 

それだけだった。

 

この日、高校時代の友人からメールが来た。『久しぶりにみんなで見舞いに行く』という内容のメールだった。

 

今の状態で?!会えるのか?

 

と思いはしたけど、せっかく友人たちが時間を作ってくれるというので、私は会う事にした。数日後、友人たちとの待ち合わせの時間になった。前回来てくれたのは、まだ、抗がん剤治療も始まったばかりの事だっただろうか。

 

あの頃は、治療やこれからの不安はあったけれど体力的にも見た目的にも、今よりは元気だったような気がする。

 

髪の毛もまだあったし。

 

この日、私は帽子を被ろうかどうしようか悩んだ。

 

悩んだ結果、ありのままの自分の姿を見てもらおうと、この禿げ上がった頭のまま会う事にした。

 

待ち合わせをした談話室へと向かうと友人たちは談笑をしていた。

 

『よお!久しぶり!』私はいつもよりも無理をして元気に言った。談話室で待っていた友人たちは顔を上げ、振り返り私の声に反応してくれた。

 

でも、その友人たちの笑顔は私の体、頭を見て一気に曇った。その友人たちの反応が少し悲しかったけれど、私は平静を装って笑顔で話し続けた。必死にその場を取り繕うと喋りまくる。

 

友人たちの反応は鈍かった。

 

私に気を使ってくれていた。それが痛いほど分かった。もうすぐ6月と言う気候は彼らの肌を少し黒く焼き、顔の血色や腕の筋肉も私のそれとは違っていた。

 

私は、急にその場から逃げ出したくなった。もう、彼らとは違う世界の住人になってしまったのかもしれない。電話やメールのやり取りでは引け目を感じることはなかったけれど、こうして直接会ってみると痛いほど感じた。

 

気を使ってくれている。

 

当り障りのない会話。少し引き攣った笑顔。そして、たまに訪れる沈黙。

 

15分ほど話して私は挨拶を告げて病室に戻ろうかと思った。でも、その時、一人遅れて来る友人からのメールが届いた。今、病院の駐車場に着いたらしい。

 

仕方ない。もう少し待つか。

 

私は病室に戻るタイミングを失い、遅れて来る友人に挨拶だけ済ませようと思った。しばらくすると

 

『おおぉ~久しぶり。』

 

病院の廊下に彼の低い声が響き渡った。そして彼と目が合う。

 

『遅え~よ。』と私が悪態をつくと彼は『〇〇、見事に禿げ上がったね!』とデリカシーの無い一言を私に言い放った。

 

その場にいた皆が声を上げて笑った。皆が言いたくても言えなかった一言なのだろうか。声を上げて手を叩いて笑いあった。もちろん、私も。虫の居所が悪かったら笑えなかったのかもしれないけど、彼は昔から物事をストレートに言う裏表のない性格で、私を含めみんなそれを分かっていたから笑えたのだと思う。

 

その場にいた皆が彼の一言に救われた。

 

得な性格だなぁっと思った。でも、この時は感謝した。これが切っ掛けで以前と同じように話も弾んだ。とっくに検温の時間も過ぎ、夕食の時間にも食い込んでいた。

 

私は、友人たちに別れを告げて一人病室へと戻った。この後、友人たちは飲みに行くというのは少し寂しかったけれど、退院したらみんなに美味い酒を奢ってもらおう。そう思うと病室への足取りも少し軽く思えた。

 

この事が切っ掛けかどうかは分からないけれど次の日からは副作用もずいぶん楽になり、この日から4日後には退院することが出来た。

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見舞いに来てくれた友人たちのお陰で娘の運動会に行ける目途はついた。

 

ありがとう。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

抗がん剤治療6クール目 その⑤

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療も6クール目なれば、多少慣れて入院生活も副作用も楽になるのかと思ってた。思ってた。でも、実際は違いましたね。完全に的外れでした。

 

粉瘤の炎症で投与レベルは下がっているのに・・・。

この6クール目が始まる時に背中の粉瘤が炎症を起こしたために、入院も2週間伸びて抗がん剤の投薬もその分伸びた。結果的に前回の投与終了から約1か月間、間が空いてしまっていた。

 

だから、髭も紙も眉毛も伸びた。

 

また抜けるのだけれど。

 

今回の入院時の説明で、粉瘤の炎症の為に抗がん剤治療に支障が出ないようにと今回と次回のR-CHOP療法の投薬レベルは前回までのレベル3からレベル2にに落とすという事だった。

 

レベル3

 

担当医に聞いた話では日本人の体格では多い量のレベルらしい。私もこの治療は本当にきつかった。それが今回からはレベルが一つ下げられてレベル2になる。

 

レベル2!

 

楽勝!

 

だと思っていた。

 

だって、レベルが下がるんですよ。

 

でも、実際は違っていた。6クール目の抗がん剤の投与が始まって以降、私はベッドから動けずにいた。今までもあったけれど、倦怠感、虚脱感、体温計で測ってみても熱は無いのに体中が熱く、頭がジンジンと痛んだ。

 

本当にレベルは下がっているのかと何度も思った。担当医に訊いてみると投薬のレベルは下がっているのだけれど、期間が前回から1か月くらい空いてるので、せっかく体が抗がん剤治療に慣れていたのに、それが振出し近くに戻ったらしい。

 

ああぁ。よく出来てる。人間の体って。

 

この病気になって何度もこの人間の体ってよく出来ているという事で苦労してきたけれど今回もそうだった。

 

辛いから抗がん剤に慣れた体が、外での生活に慣れてしまった。つまりはそう言う事らしい。

 

結果的に私はベッドから動けずにいた。

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今回のクールは終始こんな感じで頭の下に氷枕を敷いてひたすら寝るだけの日々。24時間を5日間私の体に入り続ける抗がん剤は私を苦しめ、その投与が終わった後も腫瘍崩壊症候群などの副作用を避けるために利尿剤が度々使用されて身も体もボロボロとなった。

 

この頃、楽しみだったパソコンを使ってのお絵描きや、このブログを書くことも困難になった。

 

早く楽になりたい。

 

早く元気になりたい。

 

寝ても寝れずに、何度も起き、寝ていても夢の中で何かに追われる。

 

そんな日々だった。

 

早く家に帰りたいよー。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

抗がん剤治療6クール目 その④

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療が始まって出来ない事が増えた。やりたくない事、やってはいけない事も増えた。それは、本当にストレスで日々の私を辟易させた。

 

頑張らなくてもいいんじゃない。

 

この病気になった時に多くの人からかけられた言葉がある。

 

この『悪性リンパ腫』になった時に多くの人にかけられた言葉の第一位は、

 

『頑張って。』

 

である。ありがたい。素直にこの言葉を頂いた事には感謝している。頑張っている人に頑張ってと言ってはならないとか言うけれど、結局この言葉しかないような気がする。私も、色々な言葉を思い浮かべては『頑張ってね。』と言うと思う。

 

『お大事に。』

 

って、言われることもあったけど、抗がん剤治療をしている私にとっては、どちらの言葉も受けた印象は変わらなかったような気がする。

 

でも、この病気の告知をされた当初は少なくともこの言葉に感謝は出来なかったかもしれない。何で自分が?!何でこんな病気になったの?!って受け入れる事も出来てない状態で、『頑張って』って言われても、何を?!って思うし、お大事にって言われても、何を?!って思っていたからだ。抗がん剤治療が進み、経過も順調だという事が分かった今だから素直にありがとうって思えるけれど。

 

頑張る。頑張って。頑張ろう。

 

これは、期限と目的があればあるほど力になる言葉なんだと思った。

 

当然、今まで頑張ったことはある。例えば、私がボクシングをしていた時は減量を頑張れた。2週間で5,6kgも減量を強いられていたから頑張った。

 

でも、それは期限があったから頑張れた。

 

ボクシングをやっていた時に何で減量が出来ていたかと言うと期限があったからで目的があったからだった。何月何日に試合があって、その日までに制限体重まで体重を落とさないと反則負けになってしまう。だからそれまでに減量して体重を落とさないといけない。という期日と目的がしっかりしていた。

 

だから、頑張れた。

 

その時点での自分の体重を量り、一日当たりに落とす体重を計算する。いつも通りにトレーニングをしてトレーニング後に体重を量る。1回のトレーニングで何キロの体重が落ちるのか知るために。

 

通常ならば1回のトレーニングで1.5kg~2kgぐらいは体重が落ちていた。でも、毎日汗をかいていき減量の為に水分摂取量が減っていくと、これが減らなくなる。いつも以上に厚着をして、いつも以上に激しい運動をしても汗を全くと言っていいほどかけなくなる。

 

1回のトレーニング終了時で200gとか300g位しか体重が落ちなくなる。

 

その時にどうするか?

 

食べなくする。飲まなくする。

 

これに尽きた。

 

家族や友人は食べないと体もたないよとか言って来たけど、食べて体重が落ちればこんな苦労はしないで済むって思ってた。

 

でも、頑張れた。

 

この日までに何キロ落とせばいいかという事がはっきりと分かっていたから。

 

でも、この治療に関しては余りにも漠然としていて何を、いつまで、どれくらい、頑張ればいいのか分からない。だから、頑張ってって言われても・・・。と言う感じになっていたのだ。

 

頑張る事が漠然としているし、そんな状態で頑張っていても疲れるし、ストレスになると思ったからだ。

 

だから私は色んな事を頑張らないようにした。

 

この病気になるまでは、物事をはっきりさせないと何処かイライラしたし、落ち着かない事もあったけれど、物事は焦らなくてもなるようになるし、どうにもできないことだってあるんだなって考えるようになった。

 

物事をある程度受け流そう。

 

その方が楽だ。

 

最初は慣れない事もあって逆にストレスにも感じたけれど、その度に自分は今病気なんだ。やってもやれない事がある。しゃーないしゃーないと受け流していった。

 

今は余裕で受け流せるようになった(笑)

 

入院以来、私を一番苦しめたもの何か?

 

それは『食事』だった。

 

入院当初は美味しく感じた病院食も時間の経過、回数を重ねるたびに美味しく感じなくなり、抗がん剤治療の回数が増えて副作用の大きさも大きくなると食事をするという事が苦痛になった。

 

食べる事も食事の時間も苦痛になった。

 

だから、食べる。食事を頑張らないようにした。

 

頑張って食べない。食べれるものだけ食べたい時に食べるようにした。栄養の面などは一切考慮しない、自分の心に一切負担がかからないように頑張らなくした。

 

だから、この日も病院食に出て来る菓子パンとヨーグルトとスイカだけを食べた。熊本の名産物である西瓜の初物をまさか病院で食べる事になるとは思わなかったけれど、抗がん剤の副作用で味覚異常の状態の私の舌でも甘く感じる熊本産の西瓜を誇らしくも感じた。

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西瓜県に生まれて良かった(笑)

 

始めてそう思った瞬間だったかもしれない。

 

熊本ありがとう。西瓜農家の方ありがとう。西瓜よありがとう。この日に西瓜を選んでくれた栄養士さんありがとう。切ってくれた調理師さんありがとう。私のベッドに運んでくれた看護師さんありがとう。

 

熊本産ありがとう。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

 

 

 

 

 

抗がん剤治療6クール目 その③ ある青年との出会い

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療も6クール目になり、考える事、感じる事も多岐にわたった。もう、この病気の事はあんまり考える事は無いのだけれど・・・。

 

私の入院を待ちわびていたもの。

 

6回目の入院をして昼頃、私の病室を一人の患者仲間が訪れた。

 

『〇〇さん、お久しぶりです。』そうニヤニヤしながら挨拶するのは、私よりも20歳近く年が若い青年だった。

 

彼も私同様の血液の病気で入院している患者の一人だった。初めての出会いは私がこの血液内科に入院してから3か月くらいたってからの事だった。抗がん剤の副作用での味覚異常や吐き気、病院食が食べれなくなったりしていたので、私はこの頃から食事の時間は病室から血液病棟内の談話室に逃げ込むようにしていた。

 

そこで、一人体格が良い青年が大盛りのカップ麺を美味しそうにズルズルと食べていた。全く食欲が無かった私がその彼の姿を見て、カップ麺が食べたいと思えるほどに実に美味しそうに食べていた。

 

『美味しそうに食べるねぇ~』それが私が彼に掛けた最初の言葉だった。

 

『はい。ここのごはんだけじゃ足りないっす。』それが彼が最初に返した言葉だった。

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この会話をきっかけにこの青年との交流が始まり、お互いの病室を行き来したり、一緒に売店に行ってお菓子を買ったりしながら、多くの事を語り合った。

 

彼の年は20代の中頃。私が言うのも何だけど、こんなところに居るべきではないと思った。ずっと、プロのスポーツ選手になりたくて大学まで、そのスポーツを続けていたらしい。彼が患った血液の病気が彼のその夢を断つ原因の一つになったことに私も言葉を無くした。

 

家族の話や仕事の話、将来の話、食べ物の話、男と女の話、ゲームの話など、私とは父親と息子でもおかしくないほど年が離れた二人は、本当にいろんな話を語り合った。

 

『俺は〇〇君の事を息子とも、友達とも。後輩とも、仲間とも思っているよ。』と言う私の言葉に彼は目頭を熱くして『ありがたいです。』そう言いながら涙を流してくれた。

 

彼は本当に頑張っている。痛い治療もきつい治療も耐えに耐えて、私の前では脂汗をかきながら『大丈夫っす!』と言ったりする。

 

『無視しなくていいよ。辛いのはみんな一緒だから』と私が言うと、

 

『正直辛いっす。』といって苦笑いする。

 

お互い1クール1クールの間の退院期間はLINEでやり取りをしたり、お互いが入院したりした時は必ず病室に挨拶を交わした。この6クール目も私が後から入院したので彼が挨拶に来てくれた。

 

彼は今回の治療で治療が終了するらしい。正直羨ましかった。

 

私が入院してしばらくして彼が永かった治療も終わり退院をしていった。今までも、患者仲間との別れというものは幾度となく繰り返してきたけれど彼との別れは、いつもの別れとは違っていた。

 

彼が頑張っているのは十分、分かっているのだけど。

 

頑張って欲しい。

 

そう願った。

 

私も『悪性リンパ腫』と言う病気を患っていて正直、いつまで生きていられるのか、いつ死ぬのかも全く分からない状況ではあるけれど、私の中の何かで彼のこれからの人生が光り輝くものになるのであれば私の寿命の何十分の1、何百分の1を分けても良いと思う。(何分の1は家族の為に苦笑)

 

そして、彼の退院の日。

 

私の病室を彼が彼の母親と尋ねてくれて『〇〇さん、今度は外で会いましょう。美味しいご飯食べながら。』そう言いながら笑顔で嬉しそうに出て行った彼の姿を見て嬉しくも寂しくもなった。

 

この世の中のどこかに彼を見ている特別な力があるのであれば彼により多くの幸あれ。そう願った。

 

彼が退院してから2週間後、私は大好きなベビースターラーメンを売店に買いに行った。しかし、いつもは棚いっぱいに詰め込んであるベビースターラーメンがこの日は無かった。

 

がっかりしながら、病室に戻るとその両手にいっぱいの飲み物とベビースターラーメンを抱えた彼の姿があった。

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『お久しぶりです。』そう言いながら笑う彼の笑顔に私は何とも言えない嬉しい気持ちになった。

 

こんな病気になって辛い事、悲しい事、痛い事いっぱいあるけれど、人との出会い、ものの考え方、新しい感情。色んな事に触れられるようになった事には感謝したいと思う。

 

感謝。

 

そう、何が変わったかと言えば感謝することが増えた。

 

今日と言う日に感謝。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

 

抗がん剤治療6クール目 その②

『悪性リンパ腫』の抗がん剤治療も6クール目を迎えた。入院生活も、かれこれ8か月になる。家族はこの生活に慣れたのだろうか?私は慣れたのだろうか?

 

まさか、ここまでかかるとは思わなかった。

 

2016年の11月に(あれ?!熱っぽいぞ?!風邪かな?!)って、病院に行ってからあれよあれよという間に事は大事になって

 

『あなたは悪性リンパ腫です。血液のがんです。』

 

と医師から告知を受けたのが年末の12月。抗がん剤治療が始まったのが2017年の1月4日。それから5か月。もうすぐ6月になるので治療が終わるのは7月になるかもしれない。

 

私は何のためにここに居るのだろう?!

 

治療の為。家族の為。自分の為。

 

頭の中でのこのやり取りも、もう何百回もやった事だろう。

 

それでも未だに答えは出ない。

 

今まで生きて来てから40数年間。自分の性格が嫌で、生き方が嫌で、死にたいと思ったことが何度もあった。でも、死ななかった。正確に言えば死ね無かった。

 

そんな勇気が自分に無いことくらいは分かっている。もう駄目だ。もう死ぬ。と自分に言い聞かせれば楽になるのかもしれない。そう言っていれば誰かが助けてくれるのかもしれない。

 

そう思っていたかっただけなのかもしれない。

 

もちろん、こんなことは誰にも話したことなど無いし、これからも話すこともないだろう。

 

でも、今、死にたいかと訊かれれば

 

『死ねない。』

 

こんな事になって死ぬわけにはいかないと思う。2016年の年末、私は確実に死線を彷徨っていたのだと思う。幻覚なんか見たこともなかったけれど、この時初めて見たし、体中のリンパ節は大きくゴルフボールのごとく腫れあがり、あちこちがキシキシと痛んだ。

 

『あぁ。私はここで死ぬんだ。』と本気で思った。

 

よく一度、死線を彷徨った人は、その後の人生観が変わると話を聞いたけれど、確かにそうだと思った。

 

あれから、この日まで7か月。医師の話では治療順調らしい。歩くことは出来ているし、高熱にうなされる事も無くなった。

 

私はいきたい。

 

だから、私は何かを残したいと思った。家族に子供に何かを残したいと思った。何が残せるのだろう。何を残したいのだろう。そう考えた。何度もここで。

 

答えは漠然としていて、はっきりとした答えは出せていない。

 

『パパ今度はいつ帰ってくるの?』

 

病院の談話室でしか会う事が許されない娘は、その限られた時間に逢う度に私にそう訊いてくる。

 

『分からない。』と私が答える。

 

『なんで?』娘がまた、訊いてくる。

 

『先生が帰って良いって言わないと帰れないんだよ。』私が答えると、『じゃあ、先生が良いって言わなかったらパパはずっと帰ってこないの?』娘が心配そうな表情で言う。

 

『ずっと、帰ったらダメとは言わないとは思わないけど、分からないな。』と私は申し訳なく答える。

 

『・・・。』娘は、うつむき押し黙ったまま何も言わなくなる。

 

申し訳ない。

 

このやり取りを入院以来何回やっただろうか。娘には何の罪もない。私がこんな病気になったせいで私たち家族は離れ離れに暮らすことを余儀なくされている。

 

病院に居る私の携帯電話に度々娘から電話やメールで娘からメッセージが来る。

『一緒にご飯を食べたい。』『一緒にお風呂に入りたい。』『一緒にお風呂に入りたい。』どれも、病院に居る私には叶えてあげる事が出来ない事ばかり。

 

申し訳ない。

 

誰が悪い訳でもないのだけれど、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。今いる病室にも私と同じような状況の人は沢山いる。

 

でも、みんな家族の話はしない。

 

私も自分から家族の話をすることはしない。

 

話すと寂しくなるし、話すと悲しくなる。

 

入院生活は7か月を過ぎた。日々、変化して私の体に現れる副作用にも慣れないけれど、家族と離れて暮らすのにも慣れたくはない。

 

慣れたと思っていたのだけど、慣れたのではなくて寂しくないように強がって、我慢しているだけなんだろうな。

 

早く帰りたいよな。ここにいる人みんなそうだ。

 

この日も隣のベッドからカーテン越しにすすり泣く声が聞こえて来た。大人が泣いているのだ。昼間は大丈夫、大丈夫と見舞客と話していた患者がすすり泣いている。

 

私も泣いた。いっぱい泣いた。

 

家族のもとに、自分の元に帰りたい。

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抗がん剤治療も残り僅かになったのだけれど慣れない。やっぱり慣れないのだ。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。