(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

孤独と家族と決心と

『悪性リンパ腫』と診断されて、時間がたっても現実に向き合うことが出来ずにいた私。何で今なの?!なんで俺なの?!

答えは出ないと思ってても。それには、こんな理由がありました。

 

孤独との闘い

 

 『悪性リンパ腫』の告知を受けて、私の家族は突然、途方もない悲しみに襲われました。喜びって、結構、事前に分かることが多いですが、悲しみっていつも突然なんですよね。それほど、喜びより、悲しみの方が衝撃が強いのでしょう。 

 

そんな衝撃の中、患者当人の私は、長い時間、現実を受け入れる事が出来ずに、 

只々、時を悲しみの中で過ごしていました。高熱でうなされながら、幻覚を見ながら 

日々を過ごしたのです。

 

 最初の頃は、TVなどを見て時を過ごしてもいましたが、家族団らんのシーン、手術などの病院のシーン、死をイメージするシーンなどで、いつも以上に心を揺さぶられては、涙しました。 

 

今、思い出しても『悪性リンパ腫です。』と告知された時の衝撃、悲しみは忘れません。なんで、そんなに長い時間、上を向けなかったか。理由があります。

 

 

 私たち家族は、去年、『熊本大震災』に被災してしまいました。

その時に、家族が一緒に居てくれて良かったと思いました。避難生活も経験しましたし、子供にとっても親にとっても毎日、毎日、余震に怯えながら、不安とやりきれない気持ちの日々を経験したのです。


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子供も水を一緒に運んだり、頑張ってくれました。もし、あの時、自分が一人だったら。頼れる人も隣に誰もいなかったら。そう考えると怖くて怖くてたまりません。

 良かった。一人じゃなくて。良かった。妻がいてくれて。良かった。子供がいてくれて。

 

頑張れる。頑張らなきゃ。

 

と、思えるようになりました。隣に自分よりも、もっと、もっと大切な存在があるからと。そう思えたのは、私はずっと一人だったと思っていたからだと思います。

 

一人だった言うか、誰か周りに人は居たのに居てくれたのに気づかないふりをしていたのかもしれません。

それは、多分、保身の為。自分を守りたかったからなのでしょう。

 

なぜなら、子供の頃、悲しい思い、寂しい思いをたくさんしたからです。親は、優しかった。姉たちも優しかった。でも、学校や友達。私が子供の頃に過ごしたコミュニティーは、私にとって厳しい場所でした。今思えば自分がそうしたのかもしれません。

 

厳しかった。

 

そのコミュニティーで過ごすうちに、自分が傷付かないように過ごしてきたのだと思います。そんな子供は、格好の標的になります。思ってても言わない。言えない。

 なんか言えよと言われ続けると相手が一番嫌がる確信をついてることをいう。(いろんな場面で言わない代わりに自分だったらこうするとか、自分だったらこう言うとかシュミレーションは、完璧ですから(笑)そうすると、こいつは生意気だってなる。当たり前ですよね。

 

その結果

 

言っても、嫌な気分になるし、言っても分かんないでしょ君たちって、見下していったんです。今思えば。悲しいですね。でも、親や姉たちには言えませんでした。

 こんなに大事に優しくしてくれる人たちに、私がいじめられてるって。 

だから、籠ったんです。自分の殻に。二重人格というか自分を客観的にみるというか。

 その癖は、大人になっても変わりませんでした。

 

常に、客観的に自分を見てますし、この発言、この行動は客観的にみてどうなのかとか、いつも考えて行動していました。だから、もっと本音を言ってとか、何考えてるのか分からないとか、偽善者とかも言われました。

 

それでも、それが自分の考えだと思っていましたし、自分の生きるための考え方だと思ってました。その中で人を愛し、結婚をして子供が生まれました。

 

子供が出来たことでやる気も出てきて仕事も順風です。

 

しかし、突然、私の体に異変が起こりました。突然の頭痛。めまい。吐き気。

 

鬱でした。

 

まさか自分が鬱になるなんて。仕事も家庭も順風満帆と思っていたんですが。

症状は、さらに悪化しました。病院に行っても、薬をくれるだけ。

自分は、そんな筈じゃないって、自分が鬱になるわけないって、薬は飲みませんでした。←これが、抗がん剤治療が始まっても眠剤を飲まなかった理由でもあります。

 

当時、営業管理職の仕事をしていたので、クライアントや部下の事を考えたり、会社の事、自分の役割を考えると吐き気、めまいは増すばかりでした。

誰にも言えずに只々、自分の中でその苦しさと闘っていました。

 

でも、限界はとっくに超えていて私は仕事辞める決意をしました。一生懸命頑張ってきた仕事を辞めた。大事なクライアントと進めてきた関係やその他もろもろを投げ出してしましました。

 

その罪悪感、自己嫌悪、背徳感がから私は家から出れず、というか自分の部屋から出れず、益々ひどくなっていく吐き気と頭痛に耐える日々でした。

 

孤独な闘いでした。

 

自分が言えなかったから。言わなかったから。家族にも。

 

それから、家族崩壊です。

 

妻、子供との距離が離れます。もっと前から、離れてたのでしょうが。

 

当然ですよね。

 

働かない旦那なんて、私でも嫌ですもの。妻も実家に帰りました。

 

でも、子供は、『パパと一緒が良い!!!』って言ってくれたんです。

 

この一言が、私の中で自分の殻を壊してくれました。それまで持っていた自分を守る為の硬い硬い殻みたいなものが一瞬で消え去りました。

 

この子の為に何ができるか。

 

この子の為に何をするべきか。

 

今の妻の為に何ができるか。

 

今の妻の為に何をするべきか。

 

家族の為に何ができるか。

 

自分の家族のために何をするべきか。

 

親として。夫として。男として。人間として。

 

そう考えるようになったんです。一緒にいよう。その為には、お金が必要だ!健康的な肉体と精神も!外に出よう!そう決心したのです。次の日から、仕事を探しました。

朝の8時~17時までの仕事。

 稼ぎは、減りましたが子供と過ごす時間は増えました。ご飯を一緒に作ったり、お風呂に一緒に入ったり、宿題したり。遊んだり。一緒の布団で、子供が生まれた時やもっと小さかった時の話をしたり。

 

妻とも、繰り返し、話をしました。すべてを話しました。鬱だったこと、寂しかったこと。何度も頭を下げ、涙も流しました。しばらくしたら、妻も帰ってきてくれました。

 

 やり直そう。

 

今まで以上に。精一杯。

 

この人達の為に。自分は一人じゃないんだから。

 

 ありがとう。妻と子供に感謝です。

 

そう思ったそんな時。

 

 

そんな矢先にあの大地震です。

 

マジかー。

 

ですね。青天の霹靂ですよ。神様が居たら何してくれてんのって怒りたいくらいです。

 

でも、今思えば、あの地震のおかげでとは言いたくないですが、変に意識せずに家族身を寄せ合ってこれたかなって思います。二人のおかげですけどね。

 

 そして、その次がこれです(笑)

 

『悪性リンパ腫です。』

 

いやー、笑えないです。何でって思いますもん。やっと、家族向かい合って、地震のステージも頑張ってクリアしたのにって。ボス倒したら、裏ボス居たー!みたいな。

 まあ、しょうがないです。何とか、家族と一緒に乗り越えます。 

申し訳ないですが、、、(ToT)

 

今回、こんな事を書くにあたって別に書く必要も無いかな。時期尚早かなって思いましたが、いつか家族、子供がもし、このblog見る機会があったら、知って欲しいんです。

 

本当に、感謝していることを愛してることを。

 

ありがとうございます。 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。感謝いたします。

 

 

次回は、『R-CHOP療法 副作用など』について書いていきます。