(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療 2クール目 その⑤

R-EPOCHの抗がん剤5種類の抗がん剤。とプレドニンの6日間にも及ぶ連続投与が終わった。心臓にも体にも多大なダメージが出始める。

生きるために闘うと決めたから受け入れた抗がん剤治療。その副作用の影がより顕著になってくる。

  

2回目の抗がん剤投与終了。

 

今回のブログはシリーズものです。まだ読んでない方はこちら↓

 

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この日、『悪性リンパ腫』治療の為のR-EPOCH療法の抗がん剤の連続投与が終わりました。

 

私の体内に新たな抗がん剤が完全に投薬されました。明らかに前回のR-CHOP療法とは直後の副作用が違い、胸の痛み、指先の痺れ、足のむくみ、顔のむくみ、口内炎、舌の炎症、吐き気、虚脱感、倦怠感、顎関節の痛み。そして、まだ大量に出る寝汗。数え上げればきりがありませんがそんな症状がすぐに出てきました。

 

ベットの上で何もできずに身を折りたたみ、芋虫の様にモゾモゾとしながら過ごす日も数日続きました。この治療方法は正しいのか?!自分に合ってるのか?!そんなことを考えるほどきつかった記憶があります。

 

吐き気や虚脱感が酷く、何もしたくないし、何も食べたくない。匂いだけでもうんざり、誰もいない病室で昼間でもカーテンを開けることなく、薄暗い中、副作用と闘い続けました。

 

食事は摂れてないのに便意はある。トイレには行くのですが出ない。点滴によって日に2000mlの水分が強制的に流入したおかげでオシッコの方は頻繁にでる。30分もすれば尿意を覚え、トイレに座る。その繰り返し。昼も夜もただひたすらトイレへ向かう。

まさにトイレへの巡礼です。 

これだけ、トイレに通い続けたのに私の巡礼は認められず体重は増加するばかり。

 

担当医の話によると腫瘍崩壊症候群や腎臓、肝臓保護の為に治療開始時の体重から+1.4kgで利尿剤を投与されることになっており、この利尿剤が本当に辛いんです。

昔、ボクシングをやってた時に試合前の減量で体重が落ちずに利尿剤を使うって話聞いたことありますが、そんな状態で試合なんて絶対にまともに出来ません。

 

そして、私は体重オーバーの為に利尿剤を投与されることとなります。

投与後、1~2分位で背中辺りから脇腹通って下腹部に向かってぐおーっと押されるような感覚がしてその後猛烈な尿意を覚えます。トイレに行ったら10分は出れません。

このが2,3日続きました。排便は大きい方も出ておらず、ずっと下剤を使用してました。便秘で中々出ずにトイレで毎朝20~30分位籠りました。

 

気張りすぎると心臓にも負担がかかるためにこの排便は大きい方も小さい方も本当に大変でした。毎日、全身汗だくでトイレに籠り、出てきたときには貧血で倒れそうになったこともありました。

 

同時期に年配の患者さんが無理に排便しようとして腸がねじれ、急性腸炎となりICUに運ばれたようでした。この時は、緊急に家族も病院に呼び出されて大変な重篤な状態だったようです。この光景を目の当たりにした私はその後も、この排便には細心注意を怠りません。それは、現在に至っても続いております。

 

抗がん剤投与後、1週間後辺りには口内炎や舌の炎症、抜け毛なども顕著となってきました。舌の炎症は酷くて、酸味があるもの熱いものは特に染みます。なので、医師に特別なうがい薬を処方してもらいました。

 

その時の炎症を起こした私の舌です。気持ち悪いので、もし見たい方は注意して見てください。

(閲覧注意)↓ 

https://goo.gl/jVuw6P

 

副作用が酷くなれば当然それに比例して、やる気、病気に対する不快感、生きる気力がなくなります。

 

私もそうでした。この前の一時退院で得た勇気も充実感も希望もこの時にはもう無くなっていてガス欠状態でした。

 

ふらつく体、痺れる指先、何をしても沁みる口の中、そしてまともに力が入らなくなった体。このまま、生きていけるのか、治療は上手くいっているのか、抗がん剤治療なんて間違った治療法じゃないのか、この時には、『悪性リンパ腫』の治療法や余命、再発率なども調べていました。

 

その情報が弱った体と心の私をさらに追い詰めていくのでした。家族に話しても、

 

『そんなの見るからよ。不安になるだけじゃん』とか

『きついのは分かるけどもっと辛い人が居るのよ頑張んないと』などと言われました。

 

こんなことを言われれば、大丈夫?と訊かれれば大丈夫としか言いようがありません。

 

大丈夫じゃないと言えば、どこが?何が?と言われます。この時の私には、それに答える気力も余裕もありませんでした。

 

私の気持ちを何で汲んでくれないの?

 

話を聞いてくれるだけでいいのに。

 

頑張ってじゃなくて、そうね辛いね。

 

そう言ってくれるだけで落ち着くのに、、、。

 

私を支えてくれている大切な存在。それは分かっています。でも、その大切な存在の家族との気持ちのズレ。このズレも副作用同様大きくなって行きました。

 

『しばらく、俺もきついからお見舞い来なくていいよ。』

 

ある日、私が下した決断です。家族との面会が苦痛でした。

 

そしてこの日から大きくなる副作用でさらに孤独になり不安で眠れなくなります。あれほど、毛嫌いしていた睡眠導入剤の服用も考えました。でも、寝れなくて体調悪くなって死ぬんならそれもありかな。とまで考えるようになっていたのです。

 

ただただ、孤独でした。

 

ほんの2週間前にはこれで闘える。頑張ろうとあれほど思ったのに。

 

本当に情けない。自己嫌悪でますます孤独になります。

 

そんな時にスマホにメールが来ました。もう25年来の友人からでした。

 

(おう!久しぶり。元気か久しぶりにバスケでもやろうかと思って〇〇中学校の体育館で今度の火曜の19:00~ね。一緒にやろう。)

 

こんな状態の私にバスケやろうという誘いなんて馬鹿げてますよね。でも、私は家族と会社以外には病気の事も入院生活の事もこの時は内緒にしていたのです。

 

バスケか・・・。

 

学生の時はいわゆる『庶民シュート』(レイアップシュート)も上手く出来ずに授業をさぼっていた私。正確に言うと授業に参加はしていましたがバスケには参加してませんでした。そんなバスケ嫌いの私が仕事で初めての海外赴任で日本語に飢えてしまい、たまたま買った漫画『スラムダンク』にはまり、バスケを愛する男となったのです。

 

あれから、20年。今でも好きです。子供が出来ても一緒に週3回位は仲間たちとのバスケの練習に行き。パパ頑張れーとか試合を観ていた子供がみんなの中でパパが一番上手かったと言ってくれたバスケットボール。

 

慣れない海外での一人での生活。見知らぬ街の名前も知らない公園のバスケットコートで早朝からダムダムとボールを見ないで腰を落としてドリブル練習から始めた私。

 

次第にシュート練習を始め、シュートが決まるようになると達成感を覚え、練習時間は早朝、仕事の昼休み、夜と増えていきました。さすがに夜中は近所の住民に分からない言葉で怒られましたが(-_-;)

 

小学校の時に出来なかった逆上がりを努力で出来るようになった私。嫌いだったバスケも好きになり、出来るようになっていきます。

 

そんな時に知り合ったある友人。いつも公園でひとりシュート練習をしていた私に

 

『Would you play Basketball .』

 

なんか、そんな感じだったと思います。私はあたふたしながら『O.K!』と答えました。この後から急激に知り合いが増え、言葉も覚え、仲間も増えていきます。

 

孤独だったのに。別に仲間が欲しくて始めた訳じゃないのに日本人という事だけで興味を持ってくれて、話をしてくれ一緒にバスケを楽しんでくれる。たまには、シュートやパスを失敗するとコイツ使えねぇやと烙印を押され露骨にパスが貰えなくなったり、明らかに指を刺されながら文句言われます。

 

 『Go! home Japanese!』

 

その度にムカつき、でも冷静に。その相手をドリブルで抜き去り、シュートを決めました。

 

その相手の目を見てコートを指さし『I'm here!』

 

小学校3年生から中学校3年間いじめられてた私。

自分の意見も言わずに、ただただ時が過ぎ去るのを待ってた私はもういませんでした。高校に行ってからは自信もつき人生も楽しくなってた私。やられたらやり返す! 1.5倍返しくらいで(笑)

 

大人になった私に色んな自信と可能性を教えてくれたバスケ。

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子供の頃の自転車の練習。逆上がりの練習。

 

それ以上の自信と努力の大切さを教えてくれたバスケの誘い。

 

私はこのぶっきらぼうなメールをくれた友人に感謝して返信したのです。

 

『ごめん。今、入院していてバスケなんて出来ない。』

 

その後、すぐに電話が鳴りました。その友人からでした。

 

『なんで?!どこが悪いんだ?!』慌てた口調に申し訳なく思い、病状の事や今までの経緯を説明しました。その友人は涙声で『出来ることがあったら何でも言ってくれ。辛いと思うけど。』『わかった。』私はそう答え、明日、会う約束をしました。

 

もし、この時のメールが病気大丈夫か?!って内容だったら、私は会っていないでしょう。大丈夫じゃないし、心配させたくないから。でも、いつも通りのぶっきらぼうなメールでした。いつも通りのアイツからのいつも通りのメール。

 

普通に接してくれて、普通に話してくれる。そんな友人に感謝しました。

 

副作用の症状はありましたが心の中に何か温かいものが灯ったのも事実です。

私は久しぶりに締め切ったカーテンを開け外を観ました。

眩しい光、少しだけ生きている心地がしました。

頑張ってみるか、、、。そう、呟きました。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝申し上げます。