(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療第3クール その①

子供の誕生日を家族で過ごした翌日。私は三度目の入院の為に病院へと向かった。今回の入院で私は私は何を学び何を感じるのだろうか。

 

入院三回目となればもう慣れたものだ。

  

病院に到着して受付を済ませる。

病棟に行くと前回と同じ病室だった。だからと言って落ち着くわけでも無かった。

勝手がわかる程度に慣れた。他の患者に挨拶を済ませ荷物の整理をしていると担当の看護師が挨拶に来た。

 

『こんにちは。また、よろしくお願いします。』と担当の看護師。

 

看護師歴10年というこの看護師。はじめはサバサバとしている人という印象だったけど、付き合いも3か月を超えると私にも余裕が出来たっていう事もあり印象は変わっていった。

後輩の面倒もよく見るし、看護師あるあるの『すぐ戻って来ます。』で、本当にすぐ戻ってくる看護師。医療という現場で働く責任感の強い人っていう印象に変わっていった。そのせいか会話も随分と弾むようになっていった。

 

お互いの家族の事や仕事の話、料理の話などもこの頃からよくするようになった。

私が入院している病棟は極端に中堅の看護師が少ない。この職業、何処でもそうなのかもしれないが看護師になって5~6年位の看護師がほとんどいない。

年齢的に結婚などで離れていくって聞くには聞くが戻ってくる人も少ないらしい。

 

非常に寂しい。そう感じる。こんなに人に必要とされる仕事なのに、、、。

大変な仕事なんだとつくづく思う。

 

この時期から看護師とも話すようになったし、他の患者とも積極的に喋るようにした。

初めて喋った患者は20台半ばって感じの女性の患者だった。

私の『悪性リンパ腫』とは違う『白血病』の患者だった。そんなに多くの時間は喋れなかったが、この患者と話したことによって私自身救われたし、それ以降、色んな患者と積極的に話すきっかけにもなった患者。

 

彼女の話では去年の4月。『熊本地震』の時に出産をし、その過程で『白血病』の事実を知ったという事だった。

自分が悲劇の主人公だと思っていた私はこの言葉に衝撃を覚えた。

あの状況での出産。そして、それからの『白血病』との闘病。

母親としても妻として愛する人と離れて暮らさないといけないという事実。

感染症のリスクもあり、子供とは会えない。化学療法をしているという事で母乳もあげることが出来ないらしい。

 

私は自分が情けなくなった。泣いてる場合じゃない。悔やんでる場合じゃないと思った。みんな大変なんだ。自分だけが何で自分にと何度も自問自答していたけど、この事が切っ掛けでその事を考えるのを止めた。

 

大変なのは自分だけじゃない。苦しいのは自分だけじゃない。

 

こう思う事で自分の病気の医学的な治療になるわけでもないし、直接的な手助けにはなるわけではないが、自分だけじゃない。家族にも言えないってことを言っても良いんだ。話せるんだという安堵感を得られたのは大きかった。

 

話した翌日にその女性患者の久しぶりに会う家族に対する笑顔。我が子を抱く母親としての笑顔に闘う女性の強さを見た。その笑顔の傍らでぐったりと寝ている旦那さんの姿からも家族離れて暮らすことの大変さを学んだ気がした。

 

その女性患者がすべての治療を終えこの病棟を出ていくときに私に言った一言。

 

『もう、ここには2度と戻ってくる気はないですから。』

 

被っている帽子の花の飾りで女性という事が分かるほど薬の影響で弱ってるであろうその女性患者の体から大きな光を感じた瞬間だった。

 

命・大切なもの・強さ・この世への未練・姿勢

 

その言葉を放つ女性患者から以前のblogでも書いた『attitude』が見えた気がした。

頑張らなきゃな。そう思った。

 

翌日、担当医から『R-EPOCH』療法のレベルを上げることを告げられたが、この患者と話したことで別に動揺することも不安になることもなかった。

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もう、ここでは2度と会いたくない。そう思う。

 

でも、願わくば、お互いどこかで元気な体で偶然会い。一言礼を述べたい。

 

『ありがとうございます。』

 

と、、、。

 

 

最後まで読んでいただきたいありがとうございます。感謝申し上げます。