(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

『大事なもの。残せるもの。』

『悪性リンパ腫』という病気を告知されて一瞬で暗闇につき落とされた。その暗闇の中で必死にもがきながらも自分の足元を照らしながら一歩一歩、歩き出した私。

 

何が出来るかなこんな私に。

 

 

7か月前に死の淵をさまよっている時、そこから立ち上がろう、そこから這い上がろうと思った大きな理由は『家族』の存在だった。こんな私について来てくれて一緒に闘ってくれている妻。まだまだ幼いのに闘う事を余儀なくされた子供。

 

この二人の家族の存在が私を夫として父として生きながらえさせてくれた。

 

この二人がいなければ死んでいた。この二人がいなければ楽になりたかった。でも、私は夫であり父だった。今までもこれからも。

 

この二人の為に何が出来るのだろう。そう考えた。幾日も幾日も。答えは出た。出た答えは今まで通り。

 

夫として父として。生きる。

 

次に何が大事か考えた。何が残せるのか考えた。

 

出た考えは一緒の答えだった。

 

時間。

 

そう時間だった。大事なものも時間で。残せるものも時間だった。

 

家族と過ごす時間。お風呂の時間。ご飯の時間。寝る時間。笑う時間。泣く時間。怒る時間。寄り添う時間。

 

妻と結婚して10年。家族の為と頑張った仕事の時間。その仕事で心を痛めて過ごした時間。妻と子供の顔を見れずに過ごした2年間。私はこの2年間を無駄にした。

人はそうじゃないというかもしれない。でも、私は無駄にしたと思っている。妻との時間。子供との時間。一緒に過ごす時間。大切な時間を一緒に過ごせなかった。

 

2016年12月21日水曜日

私は『非ホジキンサンびまん性大細胞型B細胞性リンパ腫』と診断された。

 

あの2年間の無駄にした時間は更に私を苦しめた。申し訳なかった。悔しかった。歯痒かった。

 

妻に子供に。そして、自分に。

 

でも、告知からの7か月。私たち家族は一緒に過ごす時間は減ってしまったけれど。いつも一緒に居る。笑顔も増えた。会話も増えた。一緒にいる時は喧嘩も増えたのかもしれない。

 

妻が愛おしい。子供が愛おしい。

 

この二人と一緒に過ごしたい。だから、闘える。だから、頑張れる。

 

戸籍上で夫の欄に名前があるから夫ではない。離婚問題の時に学んだ。

 

戸籍上で父の欄に名前があるから父親ではない。離婚問題の時に学んだ。

 

私が夫であり父であることは法律上でも認められている。

 

でも、妻にとっての夫にありたい。

 

子供にとっての父でありたい。

 

大事なものはお金でもない。おもちゃでも習い事の月謝でも発表会の拍手でもなかった。

 

一緒に過ごした時間だった。

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一緒にオセロしたり、一緒に練習した逆上がり。一緒に練習した自転車。一緒に作ったうどん。一緒に解いた宿題。

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私が退院して子供と一緒に寝る時に子供が私に子守唄を歌ってくれた。私が子供に歌っていた自作の子守唄だった。

 

もう何年も歌ってなかったから子供が覚えてるとも思わなかった。子供は私が目を開けると怒った。『それじゃあ、子守唄にならない』と。私は言った。『〇〇も中々寝なかったよ。』子供は嬉しそうに『その時パパはどうしたの?』って訊いて来た。

『歌ったよ。寝るまで。』私が言うと子供は嬉しそうに笑った。

 

子供が目を閉じて『パパ、お話して』と言った。『何の話?』と私が訊いた。

『パパが作った話』と子供が言う。子供が3歳くらいになった時、私は一緒に寝ながら頭の中で考えた話を毎晩即興で子供に聞かせていた。

 

子供が食べれなかった人参が食べれるようにと考えた『人参お化けの話』

 

私が好きなチェリーパイのジャムを作るまでの冒険活劇『ママが作ったサクランボジャムの話』

 

毎日毎日違う話を即興で話した。でも、途中で子供は寝るので最後まで話せたのは、ほんの2,3回だった。一緒に布団に入った妻のイビキで途中で止めたことも何回もあった。その度に『ママの為のお話じゃないのにね』って子供と笑った。

 

この時の私は父として子供との時間に参加していた。そこに居ただけじゃなく参加していた。子供の保育参観、授業参観も一度も欠かしたことは無い。保育園の時、子供が描いた絵を何十人の中から毎年、当てれる親は少なかった。でも私は毎回当てれた。

 

子供の絵の先生は私だった。だから、絵を描く順番も形も私の絵にそっくりだった。

 

私は子供の時間に参加していた。でも、心の病気と闘った時間は参加してなかった。

 

妻と子供が出かける時に私が言われてた言葉『どうせパパは行かないから。』私はそこに居なかった。体という物理的なものは存在していたが存在感というものはそこには無かった。

 

無駄にしたな。あの時間。

 

あれから2年。

 

私が昼食後にパソコンで絵を描いていたら病室のカーテンの隙間から女性が顔を出してきた。私に微笑みながら手を振った。私はその女性の顔を見ながら綺麗な人だな、でも誰だ?と思った。なんでそう思ったかは分からない。

 

『こんにちは。』と女性が言う。妻の声だった。

 

『こんにちは。』私が慌てて言い返す。二人で病室を出て子供が待つ廊下のソファーへ歩いていく。なんだか楽しい。そんな気分だった。

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ソファに腰を下ろすと二人が矢継ぎ早に話をしてくる。我が先とばかりに。3人掛けの大きなソファ。二人の距離が近すぎて『暑い』と私が言う。

 

3人がハッとして笑った。話したい気持ち、伝えたい気持ちが大きすぎて距離も近くなっていた。

 

私が居ない7か月。私の家族は大事な時間しっかり過ごして、しっかり参加しているようだった。安心したよ夫として父として。ありがとう。ありがとう。

 

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。