(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療7クール目 ついに最終クール。

今年の正月4日から始まった『びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫』の化学療法も、ついに最終クールまで辿り着いた。ここまでの道は決して平坦でも簡単でも無い道のりだった。

 

目指す寛解まではもう少し。

 

2017年6月6日。最終クールである7クール目の入院生活が始まった。いつも通り、初日に数々の検査を行って2日目から抗がん剤の投与が始まった。抗がん剤の投与回数が増えれば増えるほど当然副作用も増す。私の場合は、24時間×5日間の抗がん剤投与になるのだから当然その量も苦痛も辛いものだった。

 

人によっては1,2日で抗がん剤の投与が終わる人が居るし、入院をせずに外来で抗がん剤の投与をして終われば自宅に帰る人も居る。当然、自宅に戻るという事は仕事や家庭の中でのがん治療と言う過酷な闘いを強いられているのだと思うけど、家に帰れるって言うだけで羨ましかった。

 

この抗がん剤治療が始まった最初の頃は自分にとって出来るだけストレスがかからない方法、気持ちが楽な方と言うような考え方ばかりをしていて、外来受診の人を家に帰れて良いなって羨ましがったり、CVポートを装着してる患者を(毎回痛い思いしなくて良いな・・・)って思ったりもした。

 

でも、入院生活が進むにつれて自分に合った治療方法がある事を学んだ。私の場合は、抗がん剤を多量に投与しなければ、それこそ、がんの進行を止められなかったと思うし、入院生活でなければ、合併症がある心臓にもしもの事が起きた場合に対処が出来ない。

 

それは分かってる。分かっているのだけれど、、、。

 

と、当初は思ったものだ。でも、4,5クールからは。この病気の事も治療方法も完全に受け入れている。これが私が生きながらえる方法なんだと思うからだ。

 

外来で抗がん剤治療をしている患者仲間が夜中に食あたりで救急搬送された等の話を聞いてても入院生活の方が安心だと思う事も少なくなかったことも受け入れる要因になったのかもしれない。

 

ここまで約8か月の入院生活。

 

約半年の抗がん剤治療。この病気を告知されて知った時、

『何で自分が?』『何で今なの?』『何か悪いことしたのか?』

 

等とそんな事ばかりを毎日、薄暗い部屋のベッドの上で自問自答を繰り返した。

 

毎日毎日泣きながら、辿り着いた考えは、

 

この病気になった意味は無い。

 

でも、治療が終われば何かしらの意味を自分なりに感じるのかもしれないと思った。

 

ここまで半年。

 

意味かどうかは解らないが

 

自分自身が生きるためには多くのものの支えが必要で自分の支えが必要なものもいるという事。

 

という考えにはなっている。こんな考えは病気になる前も感じてはいたけれど、その時に感じていた10倍。イヤ100倍くらい感じた事だった。

 

私を支えてくれてるもの。

 

者・物・モノ・mono

 

人だったり、薬だったり、環境だったり、動物だったり、お金だったり、目に見えない絆だったり。

 

つくづく、自分は一人じゃないんだと思った。

 

ずっと前の自分は、

 

自分は孤独だと思ってた。

 

孤独だと思ったから死にたいと思った。

 

でも、死ねなくて。

 

誰かに気付いてほしくて。でも、誰も気づいてくれなくて。また、死にたくなって。

 

でも、死ね無くて。

 

足元を見たら、もっと温もりを求めている存在に気付いて。

 

抱きしめて、寄り添って、頑張った。

 

でも、病気になって。また、孤独になって。また、死にたくて。

 

でも、死ね無くて。

 

だから、病気を受け入れて。

 

受け入れたら少し楽になれて。周りを見渡せるようになって。

 

傍に温もりが沢山あったことに気付いた。

 

私は一人じゃなかった。

 

それに気づいた。

 

これに気付いた事だけでも十分なのかもしれない。

 

私はまだ死ねない。死んじゃいけない。

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こんな遠回りをしなければ気付けないなんて自分は何と言う不器用で馬鹿な人間なんだと思うけれど、今のところはこれが私がこの病気になった意味だと思う。

 

寛解までもう少し。

 

頑張ろう。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。