(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

抗がん剤治療7クール目 その③ 諦めも肝心。

今回は8か月に及ぶ入院生活の中で私が如何に自分自身にストレスをかけることなく過ごしてきたかを書いていきたいかと思います。

 

生き方も付き合い方も自分次第。

 

ここまで8か月。永かった。まだ終わりではないのだけれど一言でいえばそうなる。告知された時に治療に半年はかかると言われたけれど、とっくにその半年も過ぎてしまった。不安な事や不快な事は山積していて考えると頭が痛くなるどころか病状も悪くなるようだった。

 

このブログでも以前書きましたが、今考えてもどうしようもない事、今出来ない事を

私は、

 

一回諦める。

 

事にしています。出来ないのにくよくよ考えて最善の方法を探しても今の私は籠の鳥。出来ることなんて限られていますし、その問題をもし他人任せにするのであれば一旦諦めて、全てを白紙にしました。

 

極端な例かもしれませんが昨年の11月に緊急入院した時は一つずつ対処する時間も労力も無かったので、こういう方法をとるしか出来ませんでした。

 

あれから8か月たって自分の中でその事について考えました。後悔したことはないのかと。

 

その結果は、全くありません。

 

この病気になるまでは色々考えて、色んな手段を模索しながら最良の手段を選んでいくというような考え方でしたけれど、それが私の心に大きな負担をかけて色んな遠回りをしてきたような気がしました。

 

だから、死線を彷徨う中ですべてをリセットしたわけです。

 

まあ、正直生きられるのかどうかも分かりませんでしたので、将来の事はそこまで考えてはいなかったのかもしれません。そこまで、私の体と心は追い詰められていました。

 

楽になれました。

 

確かに病気の治療と言うのは楽ではありません。でも、この治療だけに集中できる環境を作れたことが良かったと思います。

 

全ての支えに感謝しています。

 

私が集中できる環境に置いてくれた家族、病院、医師、看護師、友人、仕事関係の方々、に感謝しています。

 

それともう一つ。この7クールの間に私が諦めたことがあります。それは病院食を食べなくした事でした。抗がん剤の影響で味覚異常や魚が全く食べれなくなった事で私の病院食は益々、不快なものとなってしまっていました。

 

もちろん、私の事を考えて献立を考えて、一生懸命作っていただいているのは同じ料理を作る立場の人間としても大変ありがたく感じています。

 

でも、今の私は我慢したくないのです。

 

抗がん剤の影響とはいえ、吐き気を我慢して魚を食べたり、白い粘土のような病院食の白いご飯を食べたり、全く味のしない汁ものを食べるのには、飽き飽きしていました。

 

大人げないですよね。

 

年も40過ぎているのに。

 

娘にも残さず食べなさいとか言っているのにもかかわらず自分は食べないのですから。

 

でも、これは私が病院生活の中で必死に考えた手段なんです。食べれるものだけを選んで食べる。

 

これが病院で食べる私の今の心を繋いでくれています。

 

ここ最近、入院中に私が食べていたものはカップ麺、病院食の稲荷ずし、パン。

加工品の味噌汁、加工品のチキンなどでした。感染症予防の為に食べられるものは限られてるのですが加工品は良いとのことだったので、こう言ったものを食べてました。

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↑柑橘系の果物は口内炎に染みるので食べれませんでしたが西瓜はいつも美味しく食べれました。西瓜が名産の熊本に生まれて良かったと思いました。

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この日は頑張って食べましたよ。

 

入院当初は全く食欲もありませんでした。でも、合併症の影響の心臓と心膜の間に溜まった心膜液を除去してからは食欲も出て病院食が美味しく食べれました。

 

でも、入院生活か2か月、3か月と進むにつれて、抗がん剤治療が2クール、3クールと進むにつれて、全く病院内での食生活は変わってしましました。全くと言っていいほど食べれなくなっていくのです。だから、食べる努力を辞めました。

 

ここを乗り越えれば何とか頑張れる。

 

これが私の日々の闘いだったのです。味覚異常で味のしないカップ麺を無理やり胃に詰め込んで空腹を満たすだけの作業になっていました。

 

ここを乗り越えれば、退院して美味しいご飯が食べれるんだ。

 

これが私の願いでした。

 

病院での食事については完全に逃げ、諦めモードでした。私はこうして7クールの食生活を過ごしていました。

 

ストレスを感じさせない。自分自身にとって何を優先させるか。それは、栄養でも倫理の問題でもなくて、その時の素直な自分自身の気持ちだったと思います。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝致します。