(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

寛解なんて考えられなかった。その2

風邪だと思ったのに診断結果はまさかの『悪性リンパ腫』多くの著名人も亡くなっている血液のがんだった。

 

そこには絶望しかなかった。

 

 12月22日。

 

もうすぐクリスマスというこの日に私は妻に車イスを押されながら循環器科の病棟から血液内科病棟へと移動を強いられた。

 

血液内科

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 その大きな人を寄せ付けない雰囲気の自動ドアはこの中は普通の生活が出来ないと言うことを十分に物語っていた。

 

私はこの場から今すぐにでも逃げ出したかった。

 

病気の治療なんかどうでもよかった。

 

がんの治療なんて。

 

治るかどうかも分からないのに。

 

私の母もがんの患者だった。

 

母もこの病院で治療をしながら苦しみながら死んでいった。苦しい苦しい、痛い痛いと言いながら必死に闘っていたのに、大好きな氷川きよしさんのコンサートに行くことも出来ずに、家族最後の旅行にも行けずに、天国へと一人旅立って行った。

 

その時、私は何も出来なかった。

 

私という人間を生んで育ててくれた大好きだった母親に最後まで何もしてあげられなかった。

 

『お母さんが眠るまでそこに居て』

 

という母最後の頼みさえ聞くことも出来なかった。

 

とんだ馬鹿野郎だ。だから我が身をもって贖罪するためにお前も『がん』になったんだと思ったりました。

 

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西1106号室

 

血液内科病棟で初めて案内された、この個室で私は一人孤独になり誰の言葉も耳には入れず、日中でもカーテンを締め切って、人の目を忍んでは泣き、自分を責めて、人生を悔い、目を腫らした。

 

どんなに泣こうが、どんなに嗚咽を漏らそうが私の病気は治らない。

 

『悪性リンパ腫』

 

がんとの闘い。

 

一方的にこの闘いのリングに担ぎ上げられて、まだ闘う準備も何も出来てない私は、この場から逃げ出したくてしょうがなかった。

 

でも、11階にあるこの部屋の窓は5cm程しか開かず、逃げ出すことも出来なかった。

 

私は逃げ出すことも許されなかった。

 

程なくして私の抗がん剤治療は始まった。

 

全身を心電図の電極のコードで繋がれて、抗がん剤の点滴のチューブに繋がれて、身動きも出来なかった。

 

大晦日も正月も自分の誕生日もこの病室で一人迎えた。

 

私は孤独だった。

 

家族も友人も医師も看護師も私の側に居てくれたのだけど、私は孤独だった。私は一人だった。

 

夜中に何度もトイレに行き、夜中に何度も寝汗でびしょびしょになった服を着替えた。

 

なんで自分が。なんで今なんだ。

 

何十回、何百回自問自答しようが答えは出なかった。

 

毎晩寝れずに夜中中観ていた海外のゾンビドラマの中のゾンビ達が羨ましくも思った。

 

人間は何と愚かな浅ましくも女々しい生き物なんだろう。

 

あのゾンビの様に私もいっその事誰かに撃ち殺してほしいとさえ思った。

 

私のがんの進行スピードは5段階中の4段階。進行度は4段階中の4。とても楽観視できる状態じゃなかった。

 

通常は抗がん剤治療開始前に行うPETCT検査さえ急を有すると言うことで抗がん剤治療が始まっていた。

 

私はこの時、正に死の縁に立っていた。

 

気力も希望も誇りもなく、ただ、その我が身を支えることさえめんどくさそうに。

 

でも、人は言う。

 

大丈夫。

 

元気になるよ。

 

頑張ってと。

 

私は頑張っているよ。闘っているんだ。無理やりこんな魔物と闘わされて、きつく苦しい思いをさせられて、なのにまだ頑張れと言うのか。

 

人の励ましが益々私を孤独にしていった。

 

でも、あの日、同じ血液内科で出会った女性の患者に救われた。私と同じ病気だと言う彼女は年も私より一回り以上も若く、あの熊本大地震の中に女の子を出産をしたらしかった。

 

その出産の過程で自身の病気を知ることとなり、闘病生活が始まったのだと言う。

 

命がけで生んだ可愛い我が子をその胸に抱けないと言う彼女の歯痒さが痛いほど伝わり、私は自分自身の情けなさから酷く申し訳なくなった。

 

俺も頑張ろう。

 

この出会いが私の中の何かを変えて、私の中の何かに光を与えた。

 

それから、この『悪性リンパ腫』と言う病気の事を知り、しっかりと心と体の準備をして行った。

 

やはり人から言われることより我が身で経験したことの方が遥かに身に付き遥かに為になった。

 

私はがん患者でもない何かの評論家の何かのがん治療法を信じない。

 

がん患者はがん患者にしか理解できないと思っている。

 

例えそれが近しい家族だとしても、がん患者の気持ちや思いはがん患者しか分からない。

 

と思う。家族のフォローは大事だ。でも、フォローとお節介は違う。『あなたの為だから』『治療のためだから』『絶対治るから』という言葉。治療中私の家族や他の患者の家族から繰り返し聞いたことがある言葉。この言葉に何度も私は苦しんだ。

 

それは寛解した今も続いている。

 

何を根拠に治ると言えるのか、何が良くて何が悪いのか患者でないのに判るもんか。

 

これが、患者としての私の言い分だ。

 

私は『悪性リンパ腫』と言う血液のがんになって変わった。

 

私は、我がままになった。

 

寛解なんて考えられなかった。その3に続きます。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。

 

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