(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

放射線治療の副作用。

ここからは、2018年3月7日に始まった。私の放射線治療の記録です。

放射線治療が始まるまでに感じていた不安は、一回目の治療が終わると消えていた。それぐらいあっという間に終わったからだ。

 

でも、2回目3回目と繰り返すにつれて新たな不安が現れた。いつも決まった時間。決まったバス停。決まったバスに乗って病院に向かうのだけど、前日の記憶がない。

毎日、何処で乗ったけ?何時のだったっけ?こんな調子で、何度も何度もスマホのスケジュールとメモ帳をのぞき込んだ。これは、今思えば、放射線治療の副作用と言うよりも不安からくる虚ろな状態なんだと思う。全てが霧の中にあって、自分だけが孤立しているような感覚。そんな中で本当の副作用がやって来た。一番最初に出たのは頭全体がヒリヒリとして痒くなった。私の場合、腫瘍が頭にあるので放射線を頭全体に照射する全脳照射と言う治療を行っていた。放射線科の医師に相談するとステロイドのスプレーを処方された。それを頭全体に日に2,3度かけて下さいという事だった。この薬のお陰でこの症状は治まったものの新たな副作用が出て来た。それは、、、

 

食欲不振である。

 

この病気が発覚したきっかけも家族で食べに行ったとんかつをひと切れも食べれなかった。事でおかしいと思って病院に行ったのが切っ掛けだった。(その時の医者は風邪ですね)と言ったんだけど、、、。

 

話を戻すと、食欲不振。この放射線治療前に抗がん剤治療の為に入院してた時も吐き気が酷くて食べれない時期が続いた。

 

でも、それとは違う。

 

お腹が空かない。この時にお腹がすくって何だっけ?とツイートしたのを覚えている。

何か食べなきゃと思っても喉を通らない。治療前におにぎりとサンドイッチを買って食べても嗚咽が出る。

 

食べなきゃ食べなきゃ食べなきゃ!!!

 

この事を家族にも伝えたし、医師にも相談した。看護師にも。他の患者にも。

 

でも、誰も私の症状を抑える答えをくれる人は居なかった。医師は、皆さんそうですが、暫くすれば慣れます。と言い看護師は何でもいいんで食べれるものを食べましょうと言われた。他の患者は、普通に食べれると言い、

 

私は悩んだ。毎日毎日。

 

食べなきゃ食べなきゃ食べなきゃ、、、

 

晩ごはんは辛うじて吐き気止めを妻に見られないように隠れて飲んで食べた。と言うか押し込んだ。

 

朝とお昼ご飯は、全く食欲がわかなかった。

 

このままで良いのだろうか、食べなきゃ体力もつかない。食べなきゃ、、、。

 

私の気持ちとは裏腹に放射線治療の回数は重なって行く5回、10回、15回、、、と

 

そして、血液内科の外来受診の日が来て常用薬処方箋をもらった。

 

放射線治療が始まって2週間が過ぎた頃その処方箋を持って、近所の薬局に薬を取りに行った。

 

ここに、この時の私にとっての救世主が居た。

 

それは、この近所の薬局の薬剤師だった。以前からよく話をしていた方で『体調はどうですか?!』と訊かれたので『体調は良いんですけど、食欲がないんです』と訴えた。

 

その薬剤師は、『そうなんですか?朝も昼も夜もですか?』と訊き返す。

『はい』と答える私。

『○○さん。ひょっとしたら、朝ごはん。お昼ご飯。夜ご飯って一日3回食べなきゃって思ってないですか?』と訊かれた。

『はい。』私は当たり前じゃんと言う感じで答えた。すると、薬剤師は『一日3回じゃなくても良いじゃないですか!』と言った。

 

へっ???!!!

 

私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を覚えた。まさに目から鱗そんな発想は無かった。薬剤師が続ける『朝、昼、晩一日3度って思うから、食べなきゃって思うから食べれないのかもしれませんよ?』薬剤師は真剣な表情で私にそう言った。

 

そして、『日に3度じゃなくても良いじゃないですか。5回でも6回でも。』と続けた。

私は(イヤイヤ食欲がないって言ってるじゃないですかと思った。)

まだ、薬剤師の言葉が続く。『日に3度。日に3度食べなきゃって言う思いが自分に負担をかけて精神的に食べれないのかもしれませんよ。3度じゃなくても一口ずつほんの一口ずつでも良いじゃないですか。その一口が次の一口を食べようっていうエネルギーになるかもしれないじゃないですか。』

 

そうか!!!これだ。多分この時の私はずっと欲しかったおもちゃを手に入れた子供の様に目を輝かせていたに違いない。

 

『確かにそうですね。その考えはありませんでした。私は自分に強迫観念をかけていたのかもしれません。早速、試してみます。』

 

そう言って、薬局を後にして、お昼ご飯から一口作戦が始まった。

 

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(大丈夫。食べれるだけ。残しても良い。少しで良いんだ。)その日から自分にそう言い聞かせての日々が始まった。夜ご飯も妻に少しで良いよと言い。朝ごはんは食べない。お昼ご飯は、病院のコンビニでおにぎりをひとつ。食べれない時には遠慮なく残した。そうして、1週間が過ぎようとした時に病院の帰り道(お腹が空いたなぁ~)と久しぶりに思った。そして、近所のお弁当屋に入りタルタルソースたっぷりのチキン南蛮弁当を注文した。

『お待たせしました。』と呼ばれると店内のイートインスペースで開けた。

『美味そう~』口の中に涎が充満した。そして、一口。

 

『美味い!!!』そして涙ぐんだ。(たべれるじゃん。美味しいじゃん。)大丈夫食べれる。おいしい。

 

その日を境に食欲が少しずつ戻ってきた。魚は生臭くって食べれなかったけど、夜中に布団の中に入って明日、また、チキン南蛮食べようと思うと涎がジュンと口の中に広がった。何故、この時食べたいものが油っぽいチキン南蛮だったのかは、分からないがこの弁当と薬剤師に救われたのは間違いない。

 

でも、副作用以外にも辛いことは沢山あった。それは、健康な家族の中に混じって、病気療養中の私が共に生活すること。

 

健康な家族は、普通に出かけ普通に食べて、普通に寝れて、普通に起きれる。私にはその全てが普通ではなく、自分の意志では出来なかった。寝るのも眠剤に頼り、食べる時も吐き気止めを飲み、起きる時も眠剤の効果が残っているのでなかなか起きれなかった。出歩くことなど皆無で。朝起きて病院に行き、放射線治療を終えて家に帰り、お昼を少しつまんで、残っている茶碗を洗い、精神安定剤を飲んで横になる。そうこうしてると娘が学校から帰ってきて騒ぐ。TVをつけてアニメを観る。この時期に娘に怒鳴ったのは1度や2度じゃなかった。今迄、こんなことは無かった。『お願いだから静かにして。お願いだからゆっくりさせて。』何度言ったか分からない。それだけ私には心に余裕がなかった。出来るだけ穏やかに出来るだけ自分にストレスを掛けないように、時を過ごした。そして、全25回の全脳照射の放射線治療を終えた。

 

辛かった。本当に辛かった。入院じゃないのに自宅から通いで治療しているのに辛かった。家族が出かける度にお腹いっぱい料理を食べるのを見る度に私は、自分が病人であるという事を思い知らされた。

 

でも、家族は悪くない。一片も悪くない。家族は当たり前の生活をしているだけで、私がそれを出来ないだけ。元気になんなきゃ!早く元気になんなきゃ!その思いを日々強く思った。

 

そう言う日々が続きながら4月の11日に全25回の放射線治療が終わった。

 

『頑張りましたね。これで放射線治療は終了です。』放射線治療の医師からそう告げられた時は本当に嬉しかった。

 

(おわったんだ。頑張ったな俺)

 

しかし、この放射線治療の途中経過、結果は、次の血液内科の入院を待たなければいけないのがもどかしかった。

 

そして、その間に新たな副作用が私の身に降りかかった。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。