(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

私にとっての大きな決断。

今回の話は、2017年の11月に再発して、年が明けて3月の放射線治療が始まるまでの話です。

 

2017年の11月に悪性リンパ腫が再発して一番辛かった症状は、悪リンパ腫による痛みではなくて、

 

その再発によるショックと、この再発で、それまでは、出来てたことが出来なくなったショックでした。

 

そのショックが私を責め、心を蝕み再発箇所が脳内という事もあり記憶障害にもなりました。それほどの衝撃的なショックでした。

 

 今思えば、再発当初の夜中に夜勤担当の看護師に『ごめん。ちょっと手を握って良い?』と訊いて、『ハイ』と言われて看護師の手を握った後で自分のベッドを指さし、『今夜、ここで俺寝て良いの?』と訊きました。看護師は当然、狸に包まれたような顔をしながら頷き『ハイ。ゆっくりと休んでください』と言ってくれました。『そうなんだ。いいんだ。』と私はベッドに横たわり目を閉じたのを覚えてます。おそらく私は、その頃に自分の身に何が起きたのか理解出来ていませんでた。しようと思っていなかったのです。

 

いや、理解したくなかったのでしょう。永く辛かったそこまでの治療生活の全てがふいになって、再発してしまったのですから、、、。

 

毎朝、持って来られる朝食のお膳の意味すら分からず『何これ⁉️』『これ食べたら元気になって帰れるの⁉️』答えはNoでした。当然です。数日前救急車で緊急搬送去れてきて、ほんの数日後でしたから。

それから、暫くの間の記憶が抜けてしまいました。その時の担当医の『では、来週から3回目の抗がん剤の治療を始めます。』と言われるまでの記憶が抜けていたのです。

私は『へっ?!3回目?1回目2回目は、したんですか』と尋ねました。担当医は、『ハイ。憶えてないですかと』訊いて来ました。私は、『ハイ』と答えました。

そして、薬剤師の『しゃっくりが出て止まらなかったじゃないですか。でも、お見舞いで持ってきてもらった梨食べたらピタッと止まって笑ったじゃないですか』と言う一言で(あっ!!!確かに笑った。と思うまで、再発で救急搬送されてこの時までの記憶が無かったと言う実感さえ有りませんでした。)でも、それが切っ掛けとなり、その時の私の心のキャパシティを大幅に超える記憶が一気に戻ってきました。しかしその記憶は、私にとって喜びの記憶ではなく、悲しみ悲痛の記憶だったので、心が圧し潰されて、『鬱になりました。』入院前も社会復帰や自宅療養に慣れなくて自律神経失調症気味ではありましたが、この時は、ハッキリと鬱だったと言い切れます。

そこからの日々、日々・・・。辛かった・・・。そして永かった・本当に。本当に。

 

何でも、1回目の悪性リンパ腫の時と比べてしまい、以前の自分と比べてしまい、ふらつく体、震える指、楽しかった料理も楽しくなくなり、苦痛でしかなかった。Twitterにツイートすることも無くなり、家族の顔も見たくなかった。愛しいはずなのに・・・。

見ると辛かったから、一緒に乗り越えたはずなのに、また、しくじった自分が許せなくて、申し訳なかった。

 

責めた何度も何度も、何百回も何百回も、泣いた何度も何度も、病院では夜中にすすり泣き、家では一人、昼間に声を出して泣いた。

 

辛かった。永かった。

 

何も出来なくなった。じゃあ、いったんリセットしよう。娘と一緒に毎日、暗くなるまで自転車に乗れるように練習をした公園を無理やり歩きながら、出来ない事をやってても辛いだけだ。だから、無理なものは、リセットして、頼れるものには委ねよう。薬にも、医師にも、家族にも。

 

そして、睡眠薬をのんで寝て、精神安定剤も日に3度服用してました。特に朝起きてからあーまた病人の1日が始まると、薬をのみ、お昼は一人ぼっちかと薬をのみました。そして、子供が帰って来る夕方には何かしなきゃごはん作んなきゃと夕方症候群の症状まで出ました。このままじゃ俺死んじゃう。と思いました。家族さえいなければと思ったり、何処にロープをかけようかとか、、、、。

 

でも、娘が悲しむ姿が見えたんです。何度も何度も大声で泣き叫んでる姿が‼️

 

だから、その存在の為に出きることを考えました。だから、心の負担を全部一旦消し去りリセットしようと。

 

そう決断した。

 

そして、ライフワークのつもりで始めたブログ『Make the style orenge lamps.Blog』と言う大事な大事な我が子の様なブログを閉鎖した。この決断は、本当に我が子を消し去るような辛い決断だった。あんなに楽しかった初めて作ったカンパーニュ作りや初めて作った自分専用の椅子作り。その全てをこの手で消さねばならないという悲しさ、切なさ。

 

辛かった本当に。

 

でも、あのまま続けていたら、私は今ここには居ないかもしれない。あの決断は、良い決断だった。いつでもそうだった。自分で決めて、自分で答えを探しながら歩み、そして、結果を知る。いつもそうだった。幸いな事にこのPCに記憶は残る。データとして。会いたきゃこのPCが壊れない限り会える。

 

入院中に大泉洋さんと原田知世さんの映画『しあわせのパン』を観て作りたく、食べたくなったカンパーニュ作りも発酵籠の存在すら知らず、自分でA4のコピー用紙を丸めて編んだ発酵籠作りから始まった。

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柿渋塗って

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初めて焼いた。家族みんなが喜んでくれて嬉しかった。娘もこのパンのお陰でガーリックパンの存在を知り大好きになった。

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私専用の椅子づくりもイメージのスケッチから始まって、

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娘とホームセンターに材料を買いに行って、正しい木材の選び方を伝え

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作った

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一生懸命塗るのを手伝ってくれて

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完成した。悩んだ色も・・・。ジャパンブルーと言われる。藍色。浄化と言う意味もあるらしい藍色にした。

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そして、腰を下ろしたときに感じた、達成感と充足感と満足感は今でも忘れない。

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でも、、、。

 

でも、、、、、。

 

でも、、、、、、。

 

こんな思い出も全て、消し去ろうと思った。この時の感動も何もかも、娘との思い出も消え去れば良いとさえ思った。

 

そして、ついに私は、make the style オレンジランプの日常と言うサイトを閉じた。

 

ごめんね。ごめんね。ごめんね。と泣きながら。

 

誰にも知らせずに誰にも言わずに、、、。

 

静かにこの世から消した。

 

でも、無理だった。あの精神状態で、元気に生きようという気持ちにもなれなかったし、全てがどうでも良くなった。全てが無駄に感じた。愛したもの。信じたもの。自分の中の希望、輝きさえ

 

無駄だと思った。

 

だから、だから、だから。

 

多分この気持ちは私しか知らない。理解できない。分かるわけがない。

 

でも、でも、でも、、、、。

 

どうしても、どうしても、あれ以上の継続は出来なかった。閉鎖から約半年が過ぎた今、あの決断は、、、。間違いじゃなかったと思いたい。

 

何故なら、今こうして生きているから。

 

あのまま、続けてたら、無理に自分は元気だって主張してたら、、、。

 

もう居ないかもしれないと思う。

 

ありがとうと言いたい。楽しかった。あのサイトのお陰で私は、私の中で輝いていた。

 

誰にも分かるまい。分からないと思う。

 

誰にも誰にも誰にも。

 

きっと、ずっと、ずっと・・・。

 

これがずっと、心の奥深くに仕舞ってた事。誰にも知られず、誰にも言わず、自分でさえも無理やり忘れようとした事。

 

それほど、再発は、、、再発は、、、。

 

辛かった。本当に辛かった。

 

この後私は、放射線治療に向かいました。大きな迷いと不安を抱えながら。

 

 

これは、どうしてもここの読者の皆様にどうしても伝えたかった事です。知って欲しかった事です。

 

なぜ、更新が滞ったのかを。

 

なんだかスッキリしました。

 

ありがとうmaike the orangelamp styles.

 

この事を告白する日が来るなんて、、、。

 

こんな日が来るなんて思いもしませんでした。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。