(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

新たな抗がん剤治療

GWが明けてしばらくして私は、悪性リンパ腫の治療の為にまた、入院をしました。

 

再発以来ここまで行った治療は、脳に腫瘍があるという事で、

脳の入り口にあると言われる脳血液関門と言う脳に菌などが入らないようにある門番を通りやすいと言われる抗がん剤を使った治療が主になります。

 

R-MPV療法を7コース(主な抗がん剤はリツキサンとメソトレキサート)

放射線治療25回(全脳照射)

HD-Ara-C療法2コース予定(主な抗がん剤はシタラビン)

 

再発当初の予定では、R-MPV療法5回で殆どの腫瘍は消滅するだろうから、とどめ的に放射線で根絶やしにするというものでした。でも、その結果は、上手くいかず、当初5回だったR-MPV療法を2回増やし7回にして放射線治療となりました。放射線治療の成果はどうだったのでしょう、、、。放射線治療中にも医師に訊きましたが、途中経過も結果も答えてはくれませんでした。結局、新たなシタラビンと言う脳内血液関門を抜けやすい抗がん剤を使う為の入院時に行われた造影剤という影が映りやすい薬剤を使ってのMRI撮影の結果を待つことになりました。

 

このシタラビンと言う抗がん剤は、血球の値がすごく下がるので感染に気をつけて下さいと何度も言われました。入院の予定は約1か月。やはりいつもより少し永めのようです。

 

GW明けの5月10日私は、新たな抗がん剤治療の為に入院しました。その治療方法の名前は、HD-Ara-C療法というものでした。ここで使うシタラビンと言う抗がん剤はここまでの15回に及ぶ抗がん剤治療でも使った事のないものでした。

 

病院に着き病棟に入ると、クリーンルームと言う無菌室に通されようとしました。

 

無菌室

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 つまり抗がん剤で体の中の血球の免疫細胞が破壊されるのであらゆる感染症予防の為に作られた部屋。(そんなに下がるのか・・・。そんなに壊されるんだ私の体・・・。)

このブログで何度も書いていますが、私は抗がん剤を治す薬ではなく壊す薬だと思ってます。この気持ちは今も変わっておりません。ガン細胞を破壊するために、良性で健康な白血球や血小板、赤血球(ヘモグロビン)なども一緒に破壊されるのです。

 

だから、抗がん剤治療が終了した後にそれらの数値を上げる薬品を皮下注射したり、輸血をしたりするのです。

 

無菌室・・・

 

私が部屋の前で入るのを躊躇して佇んでいると『〇〇さんのお部屋はこちらでした。』と別の部屋に案内されました。いつも通りの4人部屋でした。なぜそうなったかは分かりませんが、少しだけ知ってる環境になるという事で安堵しました。

 

そして、いつもの様に検査が始まります。心電図、レントゲン、血液検査。一通り検査が終わって病室に戻ると私はある異変に気付きました。

 

それは、ベッド脇に掛けてある担当医師と担当看護師の名札の欄に見覚えのある医師の名前ではなく初めて目にする名前が書いてあったからです。

 

(え!!!)担当の医師が変わったの?!なんで?!私は、見捨てられたのか?!

 

私は居ても立ってもいられなくなって、直ぐにナースステーションに向かいました。そこに医師も居るからです。すると、そこに担当医師だった医師を見つけました。

 

すぐさま、担当が代わったのか訊くと『はい。』と当たり前の事の様だと言わんばかりに返ってきました。そして、『よくある事なので』とも。私は、訳も分からない状態で部屋に戻り憮然としていました。看護師に尋ねてみても『よくある事ですよ』との答えでした。

 

どうやら、この世界では患者の気持ちやその拠り所はあまり重要視されずに患者にとっては当たり前だと思っていることが罷り通らない事が多くあるようです。まあ、よく医師と患者が揉めてるのも目にしてきましたから・・・。

 

まあ、そんなもんなんだしょうがない。私がどう思っていようが医師には関係ないんだ。頼るのは抗がん剤なんだし、医師は関係ない。そう言い聞かせました。

 

でも、、、。

 

医師の評価をする上で患者の病気を治すという治療成功率みたいなものあるとすれば、患者の精神衛生面から言ってもの医師の変更というものは、マイナスな要素しかないのではないかと思いました。

 

そんな事を考えてると、『○○さ~ん』と私の病室に新しく私の担当になった医師が挨拶に来ました。私は、多少の愚痴をこぼしながらも、もう決まった事。仕方ない。彼に任せよう。そう思いました。そして、私は両手を新しい若い男性の医師に差し出し、『先生!私のラッキーボーイになってくださいと』手を握り締めながら言いました。新しい医師に私の思いがどれほど伝わったかは分かりませんが斯くして、私の新しい闘いが新しいパートナーと共に始まりました。

 

大丈夫、大丈夫、大丈夫!・・・。そう言い聞かせながら。

 

この大丈夫、大丈夫、大丈夫は、娘が国語の教科書の音読で読んでいた一文です。ある晩聞いた娘が読んだ国語の教科書の中のこの一文が、これからも度々私に力をくれるのです。

 

入院して5日目ついに新しい抗がん剤治療HD-Ara-C療法が始まりました。でも、この療法は、今までの24時間6日間連続投与の抗がん剤治療に比べれば楽でした。抗がん剤の投与がほんの3~5時間程度で終わったのですから。副作用としては食欲不振、吐き気、悪心(胸のムカつきや吐き気の症状)嘔吐、腹痛、下痢、発熱、倦怠感、膀胱刺激症状、発疹があると言われました。

 

副作用は、他の抗がん剤同様患者の体調体質に大きく左右されるものと言うのはここまでの経験で分かってます。だから、私はこの中で経験したことのない副作用の下痢、発熱、発疹に警戒しました。

実際、この初めて抗がん剤を投与中に何か体が熱くなり、熱が37℃を越えてしまいました。

でも、ありがたい事にその症状も大した事なく熱もすぐに下がってくれたので事なきを得ました。不思議な事もありました。医師には下痢に注意してくださいと言われたのに逆に便秘になってしまって、毎日下剤のお世話になりました。それとしゃっくりが止まらなくなったりしました。でも、その都度医師にその事を伝え症状を抑える薬を処方してもらえたので、大きな副作用に悩まされることはありませんでした。

 

この入院はやはり中々血球の数値が上がって来ずに1か月ほどに及びました。この間特に大きな副作用が無かったのには、自分の体に感謝です。副作用よりもむしろ同部屋の患者の騒音(テレビの音や見舞客との大声での会話、病室での携帯電話の使用など)の方が悩ましい問題でした。本当に今までの入院生活の中で最悪な共同生活でした。何度も何度も看護師や医師に注意視されても改めない患者に呆れました。早く帰りたい。早くこの部屋から出たい。そう思いました。

 

ひょっとしたら、この思いが回復を少しだけ早めてくれたのかもしれません。こうして入院から1か月後妻の運転する車で病院を後にしました。この新しい抗がん剤治療の中で私の中で良かったと思える事は、放射線治療前から無かった食欲が戻ってきて、この入院中病院食を1か月間完食できたことです。やっぱり、この食というものが人間の体と心の大きな支えになってくれるのだとあらためて思いました。

 

この食欲が戻って来てくれてた事が最大の力の源だったと思います。あと、好きな音楽を聴く。若い頃に聴いていた曲をこういう状況の中聴いていたら、全く感じ方が違って聞こえるという事も新鮮でした。

 

若い頃に聴いてたラブソングで大号泣したり、励まされたり、中でも、大好きだった

B'Zの『月光』と言う歌は、当時は、隣に眠る恋人の事を歌っている歌だと思ってましたが、この時に聴いたら、、、(これは、愛する娘に対して歌った)歌じゃないのかと思いました。そして、夜中のベッドの上で大号泣してしまいました。以前はラブソングだと思っていた曲で大号泣するとは、思ってもいませんでした。同じ、B'Zのeazy come eazy go.と言う曲もラブソングだと思って聴いていたのに、この歌の歌詞がこの時の自分の心境にぴったりで、、、。特に『生涯最愛のものを手に入れるまで晴天ばかりは続かない。体が気付いてる。過ぎた時間は全てDESTYNY(運命)今の君を生んでくれた!という一説や』『昔卒業の寄せ書きに書いたことのある臭い言葉。逆境に挫けるなと今!自分に言い聞かせて~♬』と言う一説を聴いて、(正に、今の私の事だと思い)ベッドの上で大号泣してしまいました。他の患者に聴こえない様に必死にこらえながらも、思いっきり泣きました。そして、眠りにつき目が覚めたときに不思議な事が私の体に起こったのです。それまでは、抗がん剤の影響で骨髄で作られる血球を抑制されていたので中々、血球の数値も上がって来なかったのですが、この大号泣して、開けた朝から、腰の辺りが痛くなりました。ドックンドックンと脈をうつような痛みです。

この痛みは、骨痛と言って骨髄が血液を作る時の痛みです。

 

今迄、大人しかった骨髄が、ようやく活動を開始してくれた様です。ドックンドックンと、、、。この時は私は、やっぱり、心と体は繋がってる。

『心身一体』や仏教で言う『身心一如』や剣豪宮本武蔵が説いた『二点一流』とは、よく言ったものだと思いました。私が、歌を聴いて心の扉を開いたときにそれまで、気付かなかった体の変化や声に耳を傾けたときに、体が呼応してくれたことを感じた瞬間でした。

 

この経験から、私は、少しだけ今までの自分を振り返り、もっと自分の体の声を聞くべきだったと思い。これからは聞こう。もっと心の声を聞こうと思いました。その結果、みるみる辛かった。精神的な辛さが遠のいて行き気持ちが楽になり、自分を責める事も少なくなりました。

 

今の自分を認めてあげよう。流れに身を任せるのも時には、必要なんだ、もっと、自分の気持ちに正直に生きようとも思いました。

 

精神的にも随分と楽になり始めて、食欲もやっと戻って来てくれた、、、。

 

中々馴染めなかった病院食も美味しく感じるようにもなれました。

 

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この西瓜も甘くておいしかった。そう心の中から感じる事が出来ました。

ありがとう。私の体よ。ありがとう。私の心よ。

 

B'Zの曲を聴いて大号泣してからみるみる私の血球の値は上昇して、ついに採血検査の結果退院の許可が下りました。 

こうして、1回目の不安だったHD-Ara-C療法治療を終える事が出来ました

(少し安心したよ)妻が運転する車の助手席でそう思いました。

 

でも直ぐに2回目のこの治療が始まります。

今回の入院生活は、今までの入院生活でも感じた事の無い事を多く感じた入院生活でした。

 

心の声を、体の声を聞こうと思ったからでしょうか?そう思ったその日を栄に昼間でも夜でも、突然、私の中に『言葉や』『リズム』『歌詞』等が舞い込んでくるようになりました。

 

どんなに探しても検索しても出てこなかったものの名前や、歌、等が次から次へと舞い降りてきました。そしてその言葉や歌を聴いたり、見たりすると全てが今の自分に必要なものの様な気がしました。

 

これは、、、。天啓なのかとも思っています。だから、舞い降りた言葉には素直に従い、それと共に自分の心と体の声にも敏感に感じる事が出来るように心掛けました。

 

この新しい抗がん剤治療を行った今回の入院生活は、大きな不安を抱いて臨み、医師の変更などもあったり、同部屋の患者に対するストレスも大きく感じたとても快適な入院生活とは、言えませんでしたが、とても自分の今後に大切な事を感じさせてくれる入院生活でした。

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そして、家に帰って自室の扉にはこんなものが貼られていました。妻は娘がこれを貼っていた時に『そんなことしたらパパ大泣きするよ』と言ったらしいです。

私はこれを見たときに妻の予想通りにこの娘からのメッセージが貼ってある扉の前で大泣きしてしまいました。

 

そして、頑張ろう!!!頑張んなきゃ!!!

ありがとうと思いました。

 

最後まで読んでいただいてありがとうございました。