(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

時はたゆまず流れる。

このブログを更新する様になるまで、長い時間がかかった。それは、ブログを更新するような精神状態では無かったからです。

 

1月の14日にブログを更新してから最近までとても永い辛いものでした。思えば寒い中震えながら更新をした事を覚えています。この間私は、抗がん剤治療を4回。放射線治療を25回終えています。その結果、私の中の悪性リンパ腫はどうなっているかと言いますと、、、。答えは分からないです。

 

何故分からないのか?

 

それは、、、。

 

医者が言うのです『分かりません』と。

 

再発時に脳の半分を占めていたがん細胞は、6月の造影剤MRI検査の結果を見るとその殆どが無くなりました。

 

医師の所見を見ると1.6mm程の何かが残っているそうです。

 

何か???

 

それががん細胞なのか?

 

がん細胞の跡なのか?

 

活動性があるがン細胞なのか?

 

活動性は無く死滅しているがん細胞なのか?

 

その答えが、、、

 

『分からない』そうなんです。

もう、訳が分かりません。私の今までの頑張りに意味がないと言われてるような気がしました。

 

このまま、ほったらかしにして活動が無いのを確認するのか?他の治療方法で完全に消滅させるのか?

 

本当に意味が分かりません。

 

肝心の医者が『分からない』と言うんですから、、、。

 

患者の私はもっと分かりません。

 

このままほったらかしにして、がん細胞だったらしきものの、活動が無いのを待つのか、それとも、待つ間に活動してまた、再発させてしまうのか?!

 

答えは、、、分からないです。

 

そして、7月の定期検診の時に医師が私に下した一つの提案が

 

『自家造血幹細胞移植』と言う治療法でした。

 

じか、、、ぞうけつかん、、、さいぼう、、、いしょく???

 

なんだそれ?!この長い入院中にそう言う治療をしている患者が何人かいらっしゃったので、言葉では、聞いたことありましたが、その内容は、全く知りませんでした。

 

詳しくは、こちらを⇩

造血幹細胞移植とは:[国立がん研究センター がん情報サービス 一般の方へ]

 

簡単に言いますと、先ず、大量化学療法『抗がん剤』でがん細胞及び血球などを破壊し、その後、薬品を使って血球値を上げて上がった状態の時に血液の細胞を採取しておき、その後、もう一度大量化学療法を行い、自力では、血球の値が上がる事が困難な為に予め抜いていた自分の血液を自分の体内に戻すと言う治療法らしいです。

 

これを書いている今でも、恐ろしいです。インターネットで情報を調べても、怖い情報が次々に出てきます。

 

先ず行う、大量化学療法というものも大量に抗がん剤を使用するために、抵抗力が落ちてしまい、あらゆる感染症に感染するリスクが伴います。私は、今までの治療の中で、幸いにも感染症になった事はありませんが、今までの治療とは違うという事を聞いているので、不安でしょうがありません。

 

抵抗力の低下、厚顔残治療後の造血幹細胞の採取が上手くいくのか、また、その後の大量抗がん剤療法を行う上で、また、感染のリスクが増えて、採取しておいた自分の血液細胞が上手く自分の体に適応しないなど、、、この治療法を知れば知るほど、不安は増して行きます。

 

でも、あの時にやっていれば良かった。出来るだけの事はやっておきたいという一心で私は医師のこの提案に賛成しました。その際に医師は何度も私の意思確認を行いました。

 

本当に良いんですね!と、何度も、、、。

 

その決断で良いんですねとも、、、。

 

私はその時『はい、、、。』と力なく答えました。決断したわけではない。私が、この悪性リンパ腫を根治する為には、もうこの方法しか選ぶ道が無かった。という事なんです。選ぶ余地は無かった、がん細胞を見過ごすのか?、ほったらかしで治ってたと安堵できるのか?、それとも、治療をする道があるならと、、、。正に苦渋の決断だったんです。

 

妻にも家族にも、娘にも、伝えました。

 

『今度の治療は、大変らしい。何があるか分からないから。俺は覚悟していると。』

 

娘にも伝えました。『パパ、今度の治療大変なんだ。頑張るけど、何かあったら、ごめんね。パパは〇〇の事大好きだよ!だから、絶対に頑張るから、応援してね』と。

 

娘は力強い眼差しで私を見据えて、『うん』と頷きました。

 

これで、私の腹は、括れました。(絶対に治してやる!!!)とあらためて思いました。

お盆中の8月15日私は新たな闘いの為に妻の運転する車で病院に向かいました。

 

命と根治を天秤に懸けた治療の為に・・・。

病院に着いて、通されたのは当然、無菌室でした。ここで先ず、約1か月の孤独な闘いが始まります。何事も起きませんように。そう祈って入りました。

頑張れ!私の心と体!!!とも、、、。

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最後まで読んでいただいてありがとうございました。感謝いたします。