(新)風邪だと思ったんですが。悪性リンパ腫闘病記

風邪だと思って病院に行って出された診断結果は『悪性リンパ腫』そこから始まった血液のがん、抗がん剤治療、副作用、不安な日々との闘い。 そんな私とその家族の日々を書き綴ります。

末梢造血幹細胞移植 その1

まず最初に永い間ブログの更新を滞ってしまい読者の皆様すみませんでした。色々とありまして、ブログを描く気持ちになれないというか、気分になれませんでした。申し訳ございませんでした。このブログを途中で捨てるという事は、間違ってもありません。このブログは、私の人生の一部ですから。その点は、ご安心下さいませ。                           オレンジランプ
では、久しぶりに綴って参ります。この話は、2018年の8月に遡ります。

遂に最後の戦闘開始

私は、最後治療法である『抹消造血幹細胞移植』と言う治療の準備の為に2018年の8月13日に大学病院に入院しました。今回の治療の為に案内された病室は、無菌室。通称クリーンルームです。免疫力が極端に低くなる治療の場合に、案内される病室です。

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この部屋に案内されたという事は、大変な治療が始まるという事を意味してます。

これはどういう治療かと言いますと、先ずはいつものように抗がん剤を使った治療を行います。私の場合は、『  CHASER療法』と言うものを行いました。使った抗がん剤は、リツキサンが1日、エトポシドが3日間とシタラビンが2日間、エンドキサンが1日でした。抗がん剤投与後も特に大きな副作用は、ありませんでしたが、やっぱり気だるさはありましたので、ベッドの上でだらだらと過ごしていました。シタラビンの主な副作用・・・発熱、皮疹、等のアレルギー症状や筋肉痛、骨痛、胸痛、粘膜障害。目の炎症等・・・。でも、、、。やっぱり抗がん剤投与から2週間経った頃、やっぱり来ました。脱毛です。今迄も何度も抗がん剤治療をしているので、脱毛も何度も経験してるんですが、この時に抜け落ちた髪達は、あの苦しんだ放射線治療25回の時に抜け落ちてやっと生えて来てくれた髪達だったのです。放射線が終わっても中々生えてこなくて、放射線治療が終わって半年が経とうとするぐらいになってやっと生えて来てくれた髪達だったのです。だから、、、。

 

何度も経験してるのに

 

悲しかったです。

 

分かっていることなのに

 

悲しかったです。

 

頭では、理解してても心が受け入れてくれない。私のような病気の場合は、よくある事だと思います。だから余計に悔しさが込み上げてくるのです。涙も。自分が病気なのも悪性リンパ腫と言う命に係る病気だという事も、痛いほど分かってる。だから抗がん剤を使わないといけない事も理解してる。今回の治療で、トータル18回目の抗がん剤投与だもん。入れる時の激痛が嫌で嫌で仕方ない首の静脈から入れるCVC(central venous catheter)と言われる中心静脈カテーテルも18回入れた。でも、入れる時の痛みは、慣れない。カテーテルを入れた後は、いつも冷や汗というか脂汗で処置室のベッドがびっしょりに濡れていた。でも、もう少しで治療は、終わる。この闘いも終わる筈だ・・・。

悪性リンパ腫が根治すればの話だけど・・・。(これが最後の闘いだ!治さなきゃ治さなきゃ治さなきゃ)。私は、何時も自分に強く言い聞かせました。

 

そして、いつもの治療と同じように抗がん剤による骨髄抑制の影響で、下がっていた血中の養分、白血球、血小板、ヘモグロビン等を、いつもの皮下注射をすることで上昇させます。毎度のことながら、これが痛い痛い。しかもこの時からいつもより薬品の量が多くなったものだから、痛い時間が永くなりました(´;ω;`)ウゥゥ

 

皮下注射に耐える事2週間ほどで、血中の養分が回復しました。そして、いよいよ始まります。末梢造血幹細胞移植の準備です。何をするかというと、この治療は、大きく2回に分けて大量の抗がん剤の投与を行います。ですから、血中の養分も0ゼロになります。ゼロという事は、免疫力が無くなるという事なので、そのままの状態が続くと、色んな感染症等が発症してしまうリスクが極めて高くなるので、命を危険にさらすことになります。ですから、そうならない為に皮下注射のお陰で上昇した血液の養分をこの段階で、採取するのです。

詳しくは、こちら

日本骨髄バンク | 闘病に役立つ情報 - 骨髄・末梢血幹細胞移植とは

図を参考に作ってみました。

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そして、迎えた幹細胞採取の朝。

昨夜は、緊張のあまり、余り眠る事が出来ませんでした。なぜなら、この血液の養分の採取は、誰でも出来ると言う訳では、ないからです。以前同部屋になった患者さんもこの治療法を行う予定だったのに、3度の幹細胞採取を試みたそうですが、結局、充分な量を採取出来ずに、もう治療法は、無いと言われて退院されて行ったのを目の当たりにしていたからです。

(私も、採れなかったらどうしよう・・・。チャンスは、3回らしい。お願いこの一回で採れてくれ!!!)

そう願いながら指定された場所に行くと看護師に、別の病棟の見た事のない色んな医療設備がある大きな部屋に案内されました。

『〇〇さん。それでは、採取をしていきます。そこのベッドに横になって下さい。』

そう看護師に言われると、私は、おどおどしながら、案内されたベッドに横になりました。(いよいよか・・・。助けてよお母さん。守ってよお母さん)私は、いつもの様に空の上の母に祈りました。『では、始めますね。』そう言っていつの間にかそこに居た医師が右足の付け根の静脈にに予め入れてあるカテーテルを何かの機械に取り付けました。この装置が血液の養分だけを摂って、それ以外の血液は、体内に戻す遠心分離機のようです。『では、始めます。』医師の合図の後に、グオングオンとベッド脇の装置が音を立て始めました。この採取をするにあたって、時間が30-40分ほどかかるので、好きなCDとかスマホとか持ってきても良い。と聞いていたので、私は、昔大好きだったジッタリンジンスマホにDLして、ヘッドフォンで聴いていました。アルバム1枚分を聴いた頃でしょうか、看護師さんが笑顔で『後5分位で終わりますよ』と言いに来ました。好きな音楽を聴いてリラックスしてた私ですが、この一言で、一気に緊張が

高まりました。

 

(大丈夫だったのだろうか?!ちゃんと幹細胞は、採取できたのだろうか?!必要量採れたのだろうか?!チャンスは、3回と聞いてるけど、何とかこの最初の一回で決めてくれ・・・!!!

 

横にある遠心分離機であろう機械音が止みました。

 

(あ・・・。終わったのか?!どうだったんだろう?)私は、心配で心配で固唾をのみ込みました。

 

『お疲れ様でした。』そう言って、医師は、私の元に寄ってきました。声がした方を見ると、さっきの医師が濁った血液の様なものが入った透明のビニール製であろうバッグを嬉しそうにくるくると回しながら何度も軽く空中に投げて、『採れた採れた!たっぷりと!3回分はあるよ。』と言いました。嬉しそうに。私は、慌てて『上手くいったんですか?』と訊きました。医師は『ほらこんなに3回分は、あるよ!』とまた嬉しそうに言いました。

 

『ふぅーーーー。』(良かった・・・。)私は、安堵して大きなため息をついたのを覚えています。

 

最後の治療の第一段階は、乗り越えれた。後は、もう一回大量抗がん剤治療をして、今抜いた血液たちを体に戻して、この血液達が頑張ってくれれば、治療は、終わりだ。

私のこの時の心境は、こうでした。

 

少し希望が湧いてきた。

 

2016年の11月に只の風邪だと思ってた発熱の原因が悪性リンパ腫と言う血液の癌だと宣告されて、8度の抗がん剤治療を行って、2017年の6月に退院して、9月にPETCT検査をして寛解と言われた。

 

寛解とは・・・。症状が一時的に軽くなったり,消えたりした状態です。このまま治る可能性もあります。場合によっては再発するかもしれない状態の事です。

 

そして、予想もしてなかった2017年の11月にまさかの再発。しかも脳内で・・・。

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この画像の白い部分ががん細胞です。これだけ大きな腫瘍が頭蓋骨の中に出来てしまってるのですから、そりゃあ、とんでもない頭痛もするし、吐き気もするし、記憶も無くなるよな・・・。その時の様子は、こちらを

orangelamp8.hatenadiary.jp

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最初に再発したと知って、脳内のMRIの写真を見た時は私は、終わったと思いました。

脳腫瘍・・・。俳優の高倉健さんも松方弘樹さんもこの病気で亡くなったと検索したら出てきました。私も今度は、死ぬのか?そう何度も思いました。

 

でも

 

この日、やっと助かるかもしれない。生きれるかもしれない。という希望が湧いてきました。もう少しだ。ここまで、来たんだ。もう少しだ。

 

私は、勇気を振り絞りながらこの、少しばかりの期待に胸を膨らませました。戻れるんだ!あの場所へ。いつも夢見ていた何処にでもある普通の生活。昼間一生懸命働いて、家に帰ったら『あーーーーーーーーーーーーっ』って言いながら風呂に入って、ご飯を家族で食べて、テレビを観て笑って家族揃って川の字になって寝る。

 

ごくごく当たり前の風景

 

でも、今の私には、特別な場所。

 

そこへ帰れる希望が芽生えた。

 

そんな日でした。

 

※このブログは、あくまでも私の体験談です。私は、医学を学んだこともありません。病気の事や治療方法、薬品の事など、詳しい事は専門家に聞いて下さい。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。感謝いたします。

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